晩夏/荒井由実
一昨日11月30日の記事、「群青から紫に変わっていく赤瓦の家並みを、なごみの塔にのぼって眺める」と書いた。“群青から紫に”という最高にイカしたフレーズ、これはもちろんパクリだ。
オリジナルは荒井由実が22歳の時に書いた「晩夏(ひとりの季節)」。刻々と移ろっていく西の空を、言葉と音で完璧に掴み取った至極の名曲だ。
フレーズを思い出したのをきっかけに、何年かぶりに聴き直してみた。色褪せているどころか、その完成度の高さに改めて驚く。軽くトレモロをかけたフェンダーローズ・スーツケース・ピアノ、その透明なボイシングがなんと美しいことか。
- 空色は水色に、茜は紅に。
- 藍色は群青に、薄暮は紫に。
自分に語りかけるような切々としたAメロ。それが解き放たれたBメロの冒頭4小節、例のユーミンボイスに乗せてこの「色」の魔法が一気に炸裂する。まるで大画面ディスプレイに鮮やかに映し出された極彩色のスライドショー。日本語を解する者であれば、一度聴いただけで五感が目覚めるはずだ。
言葉のマジックはこれだけではなく、いたるところに埋め込まれている。例えば冒頭でいきなり。
ゆく夏に名残る暑さは
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭
秋風の心細さはコスモス
ああ、間違いなく右脳から生まれた詞だ。左脳で、論理的に、バランスを取って書こうとする限りは絶対に出てこない。葉鶏頭の説明は2行。一方コスモスは1行だけ(笑)。五・七、五・七・五ときて、五・七・四の字足らず。ちょっとありえない(笑)。
しかしこの3行、恐ろしいほどの完璧さで作品の中に納まる。文字に起こすと万葉集のような五七調なのに、曲の中では“名残る暑さは”を“夕焼けを”が受ける。“葉鶏頭”は“秋風の”に自然に繫がる。詞と曲の完全な融合。世に出てきてみると、もう、これしかないという完成された姿になっている。
丘の上 銀河の降りるグラウンドに
子供の声は 犬の名をくりかえし ふもとの街に帰る
なぜ、この宇宙的なスケールと生活の中の抒情がすんなりと同居しうるのか。リリシズムの極致。ユーミン自身も、もう一度このフレーズを書けといわれても無理なはず。天から降ってきた言葉の帯。
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詞も絶品だが、曲がまた奇跡的だ。なんでこんなに心を打たれるのだろうか。なかなかの難作業だが、乗り掛かった船。言葉で表現してみようか。
思うに、絶妙のバランスがなせる技なのだ。Aメロは切々と、Bメロは一気に解き放たれて盛り上がる。この曲も確かにそうだ。リズムも、音量も。Bメロがより盛り上がって聴こえる。
しかし、コード進行は? 一般的にはBメロで劇的なひねりを加えてくるのだが。
この曲のコード進行、Bメロは驚くほどストイックだ。GM7 |GM7 |CM7 G/B|Am7 が前半4小節。サビで盛りあがるところでいきなりGが丸々2小節8拍。まぁ正確にはGM7だけど。それにしてもかなり地味でしょ、これは。
続いての後半4小節。 Am D7|Bm7 E7 |Am Bm7 C D|GM7 この頭のAmが強烈だ。地味すぎるでしょう、前の小節のAmをそのままもう一度使うなんて。しかしこれが凪いだ心境、鎮まった感情を見事に表現している。バックバンドも心なしかこのAmを意識して演奏しているような気がする。だって普通入らないでしょ、ここでAmは。
逆に、Aメロのコードは実はドラマチックだ。GM7 |GM7 |F#m7 |B7 |CM7 |E7 |Am |D7sus4 D7 とコードは拾える。G Gときた3小節目、F#m7でいったん半身を沈みこませてB7へ展開。さてどうするかと思わせてCだ。ここからさらにえぐり上げるようにE7へ。ターボチャージャーによる切なさの加速。これはもうご法度だ。常人の感覚ではない。
- 吸って燃え立つ 葉鶏頭 秋風の
- 不安な夢が あったのに いつかしら
- 子供の声は 犬の名を くりかえし
この音の響き、音の並びが胸をキュウキュウと締め付けてくるのだ。実際、このF#m7→B7→C→E7にはバンドメンバーも度肝を抜かれたのではないか。定石、パターンを知り尽くしたプロであればあるほど、この響きは新鮮だったはず。
ストイックでいてドラマティック。ドラマティックでいてストイック。
その絶妙なバランス。
編曲者の松任谷正隆氏、何かの雑誌の企画で「ユーミンのベスト曲を3つ選べ」といわれて、まっ先にこの「晩夏」を挙げていたのも分かるような気がする。荒井由実名義の最後のアルバム、そのB面最後に納められたこの曲に、ユーミンの天才が結晶したのだ。
あー、書いた書いた。夕日の話題はこれでおしまい。