首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

ドラえもんの最終回

プロフェッショナル・仕事の流儀。今回は藤子・F・不二雄。シャイな性格で生前は取材にほとんど応じず、謎の漫画家と呼ばれているとか。

今回紹介されたエピソード、どれもこれもキチンとして美しかった。まるでアンティーク腕時計のショーケースのようだった。白いタートルシャツ、黒いパイプとベレー帽の洒落たいでたちは、白文字盤のアンティーク・オメガを想起させる。素敵な人だ。

最後に取り上げられたエピソードが、謎とされているドラえもんの最終回だ。小学生だった頃の僕は、間違いなくこの最終回をリアルタイムで読んでいる。今回映し出されたひとコマひとコマ、何十年の時間を超えて、描画のタッチまで明確に記憶が蘇ってきた。

ドラえもんは未来の世界に帰らなければならなくなった。のび太は驚き、ドラえもんにすがりつき泣きわめいて引き止めようとする。両親に「頼ってばかりいてはいつまでも一人前になれない」と説得され、別れという現実を受け止める。


最後の夜、眠ることのできない二人は一緒に夜の散歩に出かけた。「できることなら帰りたくないんだ。君のことが心配で、心配で。」とドラえもん。のび太は「バカにすんな。一人でちゃんとやれるよ。約束する。」と強がって応じた。


涙を悟られまいとしたドラえもんは先に家へと向かう。一人で散歩を続けるのび太、ここで偶然寝ぼけて徘徊するジャイアンに出会い、喧嘩になった。


殴り倒されるが、自分がしっかりしないとドラえもんが安心して未来へ帰れない。「まて、まだ負けないぞ。」「まだまだ。」必死でつかみかかり、ボロボロになりながら、何度も立ち上がる。そしてついに、ジャイアンは「悪かった、おれの負けだ。許せ。」と白旗を上げた。


心配して駆けつけたドラえもんに抱き起こされたのび太は、自分一人の力でケンカに勝ったと報告。肩を貸してもらって帰る道すがら、心配して駆けつけたドラえもんに抱き起こされたのび太は、自分一人の力でケンカに勝ったと報告。肩を貸してもらって帰る道すがら、「勝ったんだよ、僕一人で。もう安心して帰れるだろ」と語る。川のような涙を流しながら、ドラえもんはその言葉を聞いた。


部屋へ戻ったのび太は、寝床につき、静かに眠り始める。その横に座ったドラえもん、のび太の寝顔を涙を流して見守っていたが、部屋に朝の光が射した時、もうそこにドラえもんの姿はなかった。


感動して読了した記憶がある。僕はそれほどドラえもんフリークではなかったのだけれども、この回だけははっきりと覚えている。ドラえもんのポケットも永遠に存在するものではないのだという諦念。いつか別れは来るのだな、と。別れの時は、こうやって強くならなければならないのだな、と。小学生の僕の心に深く刻まれた。

この終わり方は、僕としては唯一無二のものだと思ってきた。完成されたストーリー、そして普遍的な教訓。現在も毎週毎週、エンドレスリピートのように放映されている(ですよね?)ドラえもんだが、あの時に読んだ最終回がアンカーであり、その周りをロープにつながれてグルグルと回っているものだと。いつ終りが来ても、ロープをたぐりさえすれば、あの最終回のようにドタバタが美しく止揚されるのだと。

しかし、今回の番組で興味深いことを知った。最終回は予期せぬ形で突然訪れたのだそうだ。藤子さん自身は連載を終わらせることに納得がいかないまま、最終回を描くことを余儀なくされたのだと。本当はもっとドラえもんをのび太のそばに居させたかったのだと。できれば、永遠に。へええ、そうだったのか。驚いた。

永遠の友情。毎週毎週、次から次へと不思議が飛び出すドラえもんのポケット。確かに藤子さんが亡くなって十数年が経過した今も、ドラえもんはバリバリの現役だ。おそらく半永久的に愉快なお話が繰り広げられるのだろう。サザエさん一家に、宇宙が終わるまで離婚も死別も訪れないのと同じように。

なるほど、今の子供たち、ドラえもんとのび太の別れを知らないのかぁ。うん、でもそういうのもアリなんだろうな。今はほんとに希望のない時代だ。せめてアニメの世界ぐらいは、せめてドラえもんとサザエさんの世界ぐらいは、「幸せな友情・幸せな家族はずっと続く」という夢があってもいいのかもしれないな。