首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

『マダム イン ニューヨーク』

初めての桜坂劇場。『マダム イン ニューヨーク』(原題:English Vinglish)を鑑賞する。

僕も英語が苦手だった。とにかく会話がからっきしダメ。このままではいけない、と大学に入ってから一念発起してアメリカに留学した。

だからよくわかる。ホントによくわかる。マダムが初めて一人で入ったワシントンスクエア近くのサンドイッチ・ショップ。あの女性店員のイケズっぷりったらない。以前の記事で書いたとおり、僕もマクドでリアルで体験したで。

あの英会話教室の雰囲気もよくわかる。あまりに英語が苦手な僕は、コーネルではESL(English as a second language)のコースも取った。完全に映画のとおり。クラスで日本人は僕だけだった。中南米、欧州、そしてアジアから。もちろんインドからの学生もいた。

今から思えば、日本人ひとりだけという環境は恵まれていた。とにかく下手くそでも話しまくった。話したいことはたくさんある。相手を見て、「どうも通じていないな」と思えば、通じるまで何回も話せばいい。聞くよりも、話す方がずっと易しいと実感した。
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マダムの姪っ子はNYUに通う学生。マダムが英会話教室に通っていることを知り、応援している。

夜の自室。米国映画で会話を独り学ぶマダム。カップルが口げんかする場面、「judgmental」という単語が心に引っかかる。わからない、といって姪っ子の部屋を訪ねる。

この時の姪っ子の説明がいい。解きほぐすように、具体的にわかりやすく。マダムは噛みしめるように「ジャジ・・・メンタル」とつぶやく。引っかかっていた単語が、徐々に溶けて心の中に沈み込んでいく。

夫から低く軽く扱われているマダム。「ああ、この言葉をどこかで夫にぶつけるんだな。」そんな感じがした。「あなたはずっとジャジメンタルだったわ!」そう言い放つんだろう、と。

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そしてこの映画のクライマックス。結婚式でのマダムのスピーチ。いやー、涙出たわー。実に感動したわー。

「あんなの、その場で振られてすぐ話せるわけがない?」いやいや、それが話せるのだよ。話したいこと、伝えたいことがあれば、人は意外と話せるものだ。言語がEnglishであっても、"Vinglish"であっても。

マダムには伝えたいことがあった。それは夫から、娘から「尊重」されたい、ということ。いや、正確には、「見下すのではなく、対等な者として接してほしい」、ということ。別の言葉でいえば、「思いやりを持ってほしい」、ということ。

「Family can never be judgmental.」マダムは静かに、そして決然とそう言った。「家族こそ、お互いを決めつけたり、偏見を持ったりしたらイケないんじゃないかしら。」心の底からの思いが、実に誠実に表現されていた。うーん、伏線からの見事な展開。

思いやりのある、素晴らしいスピーチだった。娘にも、夫にも、思いやることの大切さがしっかり伝わったはずだ。

前向きな気分にさせてくれる、素晴らしい映画だった。