首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

『メイジーの瞳』

夕方、久茂地で髪を切る。それからパレットで映画。
見たのは「What Maisie knew」。邦題は「メイジーの瞳」。

かなり重苦しい気持ちで映画館を出た。全くもってハッピーエンドじゃない。ああ、気が重いったらありゃしない。
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両親が離婚した6歳のメイジー。裁判所が下した裁定は、身体的共同親権(physical joint custody )。メイジーは、10日づつ父の家と母の家を行き来する生活を送ることになった。

父も、母も、まあそれは身勝手なことこの上ない。親権は頑として譲らないくせに、常に自分のビジネスの都合を優先する。「私がこの仕事をキャンセルしたら、訴訟の嵐なのよ。わかる?」って、6歳の子供にそんなもん分かるわけないやろが。

この父と母、まぁ似た者同士ではある。お互いに、手近な新しいパートナーとさっさと結婚した。もちろん大切なのは自分のビジネス。この新しいパートナー(たち)は、ほとんどメイジーのベビーシッターとして”契約”されたようなもの。しかも二人とも、あっというまに切り捨てられた。ひどいね。

父も母も、継母のことも継父のことも大好きなメイジー。4人の大人が放つわがままな磁場の間を、メイジーはまるでパチンコ玉のように吸いつけられたり、離れたり。どんなに雑な扱いをうけても、だれも恨んだりしない。放っぱらかしにされたバーの屋根裏部屋、ただ一度ひとりで涙を流しただけ。

ラストシーン。大好きな二人とボートに乗ることができたメイジー。軽やかなスキップ。満面の笑顔。ん? はたしてこれはハッピーエンドなのか?

うーん、僕はその幸せそうな笑顔を素直に喜べなかったな。すぐまたあのお父さん、お母さんがやってくるぞ。そして脂ぎった「愛しているよ」、「愛しているのよ」の言葉をべったりとメイジーのほっぺに塗りたくるぞ。そしてまた訴訟だ、離婚だ、親権だと騒ぎだすぞ。

メイジーからあふれ出る底なしの愛。しかし、こんな生活が続けば、いつかは枯れてしまうのではないだろうか。あのメイジーがグレて煙草を吹かす姿は見たくない。首里に住むおっさんは、なんだかそんなことを考えてしまった。
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それにしても、ニューヨークの街が素敵すぎるじゃないか。ローワーマンハッタンのアパートメント。右手を上げるとスッと停車するイエローキャブ。なんともスノッブな雰囲気が、画面から次から次へとあふれ出てくる。

父も母も、この街ではみんな自分のことで精いっぱいなのだ。そして生粋のニューヨーカーであるメイジーも、この街で精いっぱい生きていた。

愛くるしいメイジーの笑顔によぎる寂しげな表情。そこに競争の都・ニューヨークで生きる厳しさをかいま見た。