首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

下千鳥/Oshima with Keezer

竹富島の宿で知った曲だ。

部屋には小型ステレオが備え付いている。iPhoneも接続できると聞いていたが、あいにく第4世代まで。僕のiPhone5に入った曲は再生できなかった。

1枚のCDが添えられていた。おそらくリゾート向け環境音楽の類だろう。さっそくセット&プレイ。スタジオ録音された三線(さんしん)とピアノが流れる。ふむ、ジャズっぽいオシャレな沖縄ポップスですか。なるほど。

こういう音楽はあまり好みじゃない。流れてきたのはギターで作ったと思しき、いまどきのコード進行の曲。これに軽いジャズ調のアレンジを施し、三線を弾きながら節を回して歌う。沖縄ポップスの一丁上がりだ。ビギンの成功で、星の数ほどの似たような曲が巷に出回っている。

2曲目として流れてきたのは、うん、これは知っている。八重山の名曲「月ぬ美しゃ」だ。ゆいレール「古島駅」のテーマソングでもある。これを三線とピアノのデュオで。本格的な沖縄民謡にピアノを加えて聴きやすくする。これもよくあるパターンだ。

しかし。この三線とピアノの演奏は一味違うと感じる。録音もよいし、何よりも相当うまいぞ、この人たち。普段ならば不快に感じることの多いこの種の音楽だが、聴き心地が何ともよくて、銘酒「時雨」の水割りがクイクイと進む。
__________

僕も三線は少しだけ弾くことができる。移住してきたその年、近くにお住まいの銀行OBのお師匠さんから軽い手ほどきを受けた。一度だけ人前で披露しただけで、この道を先に進むには至らなかった。僕にはできないと思った。

沖縄民謡は、「単音」を突き詰めていく音楽ではないだろうか。モノフォニックの美しさ。絶妙の節回しが鍵だ。時間の経過を声の響きだけで埋めていく。そして三線は従の役割を担う。ボーカル(節)の音をなぞる曲がとても多い。歌に三線が寄り添うのだ。

これは、ギターやピアノの弾き語りとは似て非なるものだと思う。コード演奏の上に歌が乗るのではない。ポリフォニックな響きを追求するのではなく、メロディ(旋律)そのものを極める。例えるならば、ひと筆で一気に描き切る墨絵だ。画面をすき間なく絵の具で埋める油絵とは異なる。
__________

思わず読書を止めて、聴く耳を正した。それが8番目のこの曲、「下千鳥」だ。

ピアノが完全に従に徹している。平板な和音で包んでしまうのではなく、単音の美しさを支え、際立たせる演奏。ドビュッシーのように、メロディそのものがキラキラしたピアノの響きの中から浮かび上がってくる。驚いた。これは完璧な沖縄民謡だ。

このピアニストはいったい何者?名前はジェフリー・キーザー。名門バークリー音楽院で楽理を学び、在学中にアート・ブレーキーのジャズメッセンジャーズに加入したこの道のエリート。37歳と比較的若いが、大物との演奏実績も豊富な実力者のようだ。

彼自身が書き下ろしたライナーノーツを読んでさらに驚いた。沖縄民謡への思い入れが、尋常ならざるほど強いのだ。

最初に琉球諸島の音楽を聴いたのは、1990年代初め、福岡でジャズグループと公演中のことだった。ホテルの部屋に400チャンネルの有線放送が設置されていたので、ある日「日本の伝統音楽」チャンネルを気の向くままに聞いていたところ「沖縄」番組に出くわした。たちまち衝撃を受けた。

彼は、その衝撃を次のように記す。少し長い引用を許されたい。

それまで聞いたいかなる音楽とも違う、その違いに驚いたのだが、にもかかわらず神秘的なことに、そこにはよく知っている何かがあった。幼馴染のような、そのメロティをずっと前から知っていて、すでに自分の一部が深くつながっているような感じがした--まるでその音楽を近い前世から知っていたかのような。

その日以来、彼は無数の沖縄音楽を探し出し、徹底的にそれを聴いた。彼の中で琉球音楽のアルバムを制作することが夢となる。ある書物*1から大島保克という歌者を知る。10数年越しの夢を叶える相方と見定めた彼は自らアプローチ、2005年秋に大島が住む大阪でミーティングを持つに至る。

そのミーティングで10曲ほど通して演奏。「1時間も経たぬうちに一緒にCDを作る話をしていた」とある。大島は彼が本物であること、すなわち琉球音楽の確かな担い手であることを直感できたのだと思う。

ニューヨークで録音が行われ、2007年に当CD「Yasukatsu Oshima with Geoffrey Keezer」が日米で発売された。

__________

「下千鳥」におけるキーザーのアプローチは、驚くほどストイックなものだ。ジャズと沖縄民謡を融合させるのではない。キーザーのいう「ジャズの文脈に彼(大島)の音楽を配置する試み」は、この曲においては“沖縄民謡そのものになる”という形で表出している。

例えば。「下千鳥」において、キーザーは実に丁寧に三線の音とユニゾンさせている。ハモるのではなく、同じ音を正確に重ね合わせるのだ。

ニゾンが節の美しさ、単音の美しさを際立たせている。キーザーは10数年間夢を温める中で、これが沖縄民謡の肝だということを承知していたのだろう。

沖縄民謡そのものになること。アウトサイダーにとって、その実現は恐ろしく困難な作業だ。例えばユニゾン。美しいユニゾンを生み出すには、耳コピによる採譜をすることはもちろん、歌者の間合いを自分のものにするための細かい細かい下準備を必要とする。融合はずっとたやすい。自分の仕様、自分の土俵が許されるのだから。乱暴な言い方だが、コードを拾ってジャズの流儀でそれっぽく演奏すればいい。
__________

この曲を聴いて思うところは多い。実は、反省もしている。

沖縄での仕事。沖縄でのサラリーマン稼業。僕は本土のやり方を押し付けたり、沖縄のやり方を頭ごなしに否定したりはしなかった。

しかし、本土のやり方を沖縄のやり方とハーモナイズさせるだけではダメだったのかもしれないな。完全にユニゾンさせること。これがナイチャー(本土から来た人間への蔑称)の生きる唯一の道だったのだと。

ジェフリー・キーザー。彼は圧倒的な実績と実力を持っている。ジャズという枠組みを超えて、音楽そのものに対して深い造詣があるのは間違いない。その彼は、完全に沖縄のやり方に則りながら、完璧な沖縄民謡「下千鳥」を作り上げた。恐れ入ったという他ない。

僕にはできなかった。

https://itunes.apple.com/us/album/yasukatsu-oshima-geoffrey/id319762474

*1:John Potter, "The Power of Okinawa -roots music from the ryukyus-"