首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

長銀の同期と久茂地で

長銀の同期と久茂地で飲んだ。

前日に短いメールをもらった。「突然ですが元気ですか。いま那覇にいます。夕食でもどうですか。」

まったくもって突然だ。ずっと彼とは音信不通。いったい何年ぶりだろうか。

暇にしているのでいつでも大丈夫。新しい携帯番号を添えて、そう返信した。

返信する時、ちょっとだけ躊躇した。銀行から東海岸の名門ロースクールに派遣留学、ニューヨーク州弁護士資格を取得した彼。帰国後は、ある投資銀行に入社。僕の勤務していた会社と同じビルにありながら入口は別。ほとんど顔を合わせることはなかったが、その働きっぷりは風の噂で聞いていた。自分としては十分に納得しているとはいえ、無職という今の状況に後ろめたさがない訳ではない。どんな再会となるのだろうか。

沖縄料理が食べたいという。ホテルの場所を聞き、その近くにある魚の美味い店を予約した。ホテルのロビーで待ち合わせることになった。

後ろから名前を呼ばれた。振り向くと、昔と全く変わらない彼が立っていた。「まったく変わらんな」と言葉がそのまま出た。背をしゃんと伸ばした姿で「ちょっとやせたか?髪もたっぷりあるな。」と彼は笑いながら僕の肩を叩いた。

2週間の休みが取れたので、ダイビングの免許を取りに来たのだという。そのまま慶良間、さらにそのあと波照間で潜るらしい。初心者がいきなりそんな最高峰を?まあ彼らしいといえば彼らしい。

リタイアしたと話すと、彼は「そうか。そりゃいいな。」とさらりと受け止めてくれた。外資系にはこの歳で卒業する人間は珍しくない。すでに引退した同期の名前も聞いた。

当地では一番美味い食べ方だといって「魚の酢味噌和え」を紹介した。「けど、ちょっともったいないか。大学で教えろよ。コンサルも得意だろ。」「沖縄では無理やで。まあぼちぼちと、な。」ビールは一杯だけにして、泡盛を注文。首里の咲元を四合瓶で。

ここからは昔話に花が咲く。彼とは同じ独身寮に入り、同じフロアで数年を過ごした。彼はモーリスギターを持って僕の部屋をよく訪ねてきた。同期の結婚式では僕が司会を担当し、彼は乾杯を熱唱した。

同期で最初に寮駐車場の権利を手に入れたのは彼だ。入行してまっ先にウエイティングリストに書き込んだのはさすがだ。中古の紺のセフィーロ。半年後、やっと僕にも駐車場が回ってきて、彼の2台隣にシルバーのユーノスロードスターを停めた。

忘れかけていた細かいことを、彼はいちいちよく覚えていた。いちいち腹を抱えて笑わされた。「ロックで飲みたい」といった泡盛は、どんどん減っていった。イカ墨のソーメンチャンプルーを「うまい、うまい」といいながら、彼はワシワシと食べた

彼はいま都心のタワーマンションに住む。クルマはポルシェ997カレラGTS、ギターはマーチンとギブソンを1本ずつ買った。週末は愛車でふらりとゴルフへ。そしてバケーションでダイビングだ。

「はー、絵にかいたような勝ち組やな。」というと、彼は「実力はないし、人と同じぐらいの努力しかしてないけど、運には恵まれてたからな、俺は。」とつぶやいた。「長銀には、本当にすごいやつがたくさんいた。いい環境だったからな。」

四合瓶はきれいに空になった。近いうち、ラウンドすることを約束し、ホテルの前で肩を組んで別れた。