首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

Jim Hall 逝去

ジム・ホールが亡くなった。夕刊の小さな記事で知る。

僕の人生で最も多く聴いたアルバム、それは彼の作品だ。タイトルはUNDERCURRENT。Bill Evansとの共作。録音は1962年。

中学の時、自分で買ったLPレコードは3枚。そのうちの1枚だ。購入したきっかけをはっきりと覚えている。

自室のラジカセでNHK-FMを聴いていたのだ。流れてきた音楽に心奪われた。ゆっくりとした美しいワルツ。演奏しているのはピアノとギターのみ。そのまま弾くことができるぐらい少ない音数。ハ長調は真っ白な優しさに満ちていた。

曲が終わり、甘い声のおじさんが曲名を告げた。"Skating in Central Park"だという。公園でのスケートか。あまりにもイメージがぴったり。おじさんの口調まで明確に思い出せる。メモするまでもなく、記憶に刻み込まれた。

もっと聴きたくて仕方がない。駅ビルのレコード屋で探した。意外に簡単に見つかったような気がする。無我夢中だったのかもしれない。

とにかくいつも聴いていた。レコードを応接間で、カセットを自室で、ウォークマンを通学の電車で、CDを下宿で、iPodを通勤の地下鉄で。
__________

そして現在。実はほぼ毎日、このアルバムを聴いている。

僕の心を最も落ち着かせる音楽だ。食事を終えて眠るまでの時間をこのアルバムと過ごす。なぜこんなに落ち着くのだろう。

とにかく頭が解きほぐれていくのだ。「ああ、ほどけそうだ」と感じながら持つもつれた糸。「よし、この流れで大丈夫」と確信しつつ解いていく数学の証明問題。安心感と快感が合わさって時間が流れていく。

冒頭の曲、"My Funny Valentine"だけがアップテンポ。切ないバラードで知られる"My Funny Valentine"を火花の散るような激しさで演奏した点について、この半世紀の間さまざまな評価がなされたようだ。その後はゆったりとしたバラードが続く。そして静かにレコードの針は上がる。

ジャケットの写真がすべてを示唆していると思う。

寝衣を着けた女性。彼女は生きたまま静かに湖面から沈んでいく。浮いているのでも、漂っているのでもない。穏やかに、幸せに満ちて湖底に落ちていくのだ。

"My Funny Valentine"は水面そのものだ。暗示しているのは、人が生きる世界の激しさ、そして湖に身を投げた轟音。アルバムの中で異彩を放つこの曲だけの緊張感は、この曲だけが俗世と接しているためだ。

しかし次の曲からはもう美しい、静かな水の中に入る。A面に流れるマイナー色が、B面になると明るい色を帯びてくる。静かな長調。落ち着いた諦観。モーツァルトの最後のピアノ協奏曲、第27番に付いている色にとても近い。汚れた世の中を離れ、その向こうにある世界に近づいていく。

最後から2曲目が"Skating in Central Park"だ。両親と祖母との幸せな思い出。冬の晴れた日に、毛糸帽とマフラーをした子が笑顔で滑る。そして最後の曲は、"Darn That Dream"。直訳すれば「いやな夢」とか「なんて夢」とか?まあそれはいい。ああ、これは夢だったのかもね、と。

ありがとう、ジム・ホール。ご冥福をお祈りします。

__________

追加して書き込み。

退職して購入したMarantz NA-11S1の力で、このアルバムがさらに光り輝いた。

デュオやトリオの場合、意識して右と左に演奏者を分けて「対話」感を表現することが多い。ところが、このアルバムの録音は独特だ。ギターが中央に座る。ピアノは低音が左に、高音は右に配置される。

これまでは、ギターがピアノに挟み込まれていた。平板だった。NA-11S1がやってきてから、前後に奥行きが生まれた。ピアノがギターを包み込む。深夜、小さな音でも空間が濃密に埋まる。その空気に自分も包まれる。

いい買い物だったと思う。時間はまだいくらでもある。