首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

大学/銀行の先輩と旭橋で

東京に住む先輩とランチ。

前日の夜、先輩から携帯に電話。1年ぶりぐらい?ひさしぶりだ。「どうしてんの?」と聞かれ、「元気ですよ。あと、会社はやめました。」と答える。

「へえ。そら話を聞かなあかんな。さっき那覇に着いたとこ。調整して明日の朝連絡します。」といって電話は切れた。いつもながら、忙しいお人だ。

今回突然の来沖となったのは、お仕事関係のお葬式参列のため。沖縄出身の方のご親族が亡くなられたのだそうだ。
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彼は京大と長銀、両方の先輩だ。銀行が国有化される直前の2年間は同じ部署だった。経営がみるみる追い込まれ、明日が全く見えない状況。スイス銀行(現・UBS)と業務提携したことで、外国人の上司が僕らの部署にも送り込まれる。彼はチームリーダー。まだ半人前の僕ら若手にとって、一番頼りになる兄貴分だった。いや、この人しか信じられなかった。

とはいえ、当時の僕は自分の銀行がどうなるかについて、あまり関心がなかった。何のことはない、失恋による人間不信で腑抜け状態だったのだ。それまで付き合っていた彼女、信頼していた友人との信頼関係があっけなく、跡形もなく壊れた。何が何だかわからず、茫然とした毎日を送っていた。

そんな状態だったにもかかわらず、先輩は僕をかわいがってくれた。あんな大変な時期に、部下から失恋の悩みを打ち明けられてもねぇ。申し訳なかったとしか言いようがない。でも、その時もらったアドバイスは今でもはっきりと覚えている。あの言葉があったから、今の僕はある。
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朝、連絡が来た。夜は無理なので、ランチを食べよう、と。宿泊中のホテルに来れるか、と問われ、「もちろん」と答える。旭橋のリーガロイヤルホテルへ。

「久しぶりやな。」と先輩。「で、今は個人投資家、か?」と聞かれる。いやいやいや、僕に投資の才能がないのは先輩が一番よくご存じでしょう。ヘボなディールばかりで当時はご迷惑をおかけしました。ヘボはヘボとして、実力がないことを自覚して日々マーケットに対峙してます。

信頼している人との会話はともかく安らぐ。気が置けない、とはこういうことか。共通の知り合いの近況をひとしきり。みな頑張っているというか、かわらないというか。

京大の沖縄同窓会の話がなかなかウケた。医者や学者が多く、公務員が大半だという状況は驚きだという。「東京での同窓会とは全く逆やな」と先輩。「東京の同窓会に来るOBはみな変わり者。成功者とは言い難く、はっきりいって世の中を鋭く斜めから見ることしか能力のない人間。」えー、それは僕に対するイヤミですかね(笑)。

「京大でも東大でも、苦労しているやつは苦労してる。しかも、いつ死ぬかわからんしな。」「お前は早いうちに自分の会社作って、これまでの金融の知識とセンスを活かすのがいい。80歳超えても豊かに穏やかに暮らせる。」うん、本当に。まったくそうだと思いますよ。元気出ますわ。

「俺はリタイアしたら京都に戻る。お前は沖縄で暮らせ。あちこちに拠点があると人生楽しい。」うん、これも同感。学生時代には行けなかったような店、いろいろ教えてくださいよ。