首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

永遠の15分

上京中、アンディ・ウォーホルを見た。

ウォーホル展、僕が初めて見たのは1989年。留学中のニューヨークだった。近代美術館(MoMA)で開催された”ANDY WARHOL: A RETROSPECTIVE”。

お金もなかったのに、当時としては高価な図録を迷わず購入。日本まで大切に持ち帰った。引っ越しするたび本棚の一番いい場所に並べる。今もお気に入りの1冊だ。

その後、国内外を問わず、開催される展覧会には足を運んだが、このMoMAの企画展を超えるものはなかった。今回もそれほど期待していた訳じゃなかったのだが。。。
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正直なところ、ぐるりと会場を見回っていた時はホントにそれほどでもなかった。

もちろん楽しくないわけはない。「キャンベル・スープ」「マリリン・モンロー」「死と惨事」「MAO(毛沢東)」。アイコン的な代表作が次々と現れる。もちろん大好きな作品だし、実物だけがもつオーラをガンガン発している。

工夫も凝らされていた。例えば”Cow Wallpaper”。壁1面ではなく、角を作って取り囲まれるような展示になっていた。こういう迫力は大型展覧会ならでは、だな。

取り囲まれるような展示といえば”Toy Paintings”。とても子供好きだったウォーホルが手がけた子供向けの作品群だ。1983年チューリヒでの初公開を再現するべく、彼自身がデザインした「魚の壁紙」を設置。作品は子供たちが見やすいようにと、壁の低い位置に並べられた配慮もそのまま。こういう展示の工夫はとてもいい。今回の図録にこの魚の壁紙が載ってないのは何とも残念。

展示の最後は「タイムカプセル」。モノを捨てるのが苦手な僕。偏執的に集め、詰め込まれた膨大な「作品」群に、「ウォーホルよ、お前もか。」と勝手に共感。

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このコーナーを見終え、振り向いたところの壁。そこに次の(ような)言葉が書かれていた*1

僕は死ぬ時には何も残したくない。

うわぁ、やられた。これは完全にやられた。

ウォーホル。この男は、言ってることとやってることが全く逆なのだ。

この展示会、壁にいくつもの語録が記されていた。考えさせられる名言の数々は、確かにどれもこれも嘘ばっかりだった。

画家になりたいなんて思ったことはないね。
タップダンサーになりたかったんだ。

まったくよくいうよ。小さいときから絵が大好きで、地元の名門カーネギーメロンでは必死になってデザインの勉強をしたそうじゃないか。

コマーシャルアートの仕事は好きだった。


何を作ればいいか、どう作ればいいかはみんな指示してくれたし、手直ししろと言われれば、そうすればよかった。良いか悪いかもみんな言ってくれた。

大学を卒業し、ニューヨークで商業デザイナーとして早くから成功をおさめる。しかし、注文主の要望に応えイラストの修正に追われる生活。それに悩み苦しんでいたのは誰だったっけか。

I never think that people die. They just go to department stores.
人が死ぬなんて思えない。ちょっとデパートに行くだけだ。

極左フェミニストに狙撃され、死の淵をのぞいたウォーホル。開放的で社交家だったあなたはこの事件から人が変わり、すっかり閉鎖的になってしまった。作品も精気を失い、友人も去っていき、58歳であっけなくデパートに行ってしまった。

今週初めに書いた日記に記した言葉も、字面通りには受け取れない。「ビジネスで成功することが最高のアート」だなんて。

あなたにとっての最高のアートは、ビジネスでの成功ではない、別のところにあったのでしょう?
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「永遠の15分」という今回の展覧会タイトル。改めて深く考え込まされる。

It’s the place where my prediction from the sixties finally came true: “In the future everyone will be famous for fifteen minutes.” I’m bored with that line. I never use it anymore. My new line is, “In fifteen minutes everybody will be famous.”


「誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。」 僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。もう二度と言わない。これからはこう言う。「誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう」。

ウォーホルというこの不世出の芸術家は、間違いなく永遠だ。万博のタイムカプセルが当初予定通り5,000年後に開けられても開けられなくても、それは大した問題ではない。彼以外は15分しか有名人になれないが、彼だけは永遠に「有名人」なのだ。

そしてさらに。今やもうだれも有名にはなれなくなった。15分以内になれたはずなのに、その15分は永遠に経過しない。

インターネットで誰もが簡単に情報を発信できる時代は、誰も有名になれなくなった時代だ。本当に誰もが有名になれるゆえに。

もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。

公開している僕のこのブログ。「沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔」と題した。

そう、まったく僕も同じ。

このブログを見てくれれば、そこに僕はいます。裏側には何もありません。
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六本木ヒルズ森美術館で開催されている「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」。これまでで最高レベル。色々と気づかされる、実に刺激的な、素晴らしい企画だった。

*1:メモを取り忘れたので、正確な表現は失念してしまった。