首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

憲政記念館

なりゆきで憲政記念館へ。

打ちあわせまで1時間ほど時間が余った。天気もいいので、一つ手前の霞が関で下車してみた。

地上へ出ると、合同庁舎2号館前だった。「霞が関跡」という史跡碑が立っている。昔からこんなのあったっけ。今回はじめて気がついた。

外務省との間の坂、国会方面へダラダラと登る。へえ、この坂には「霞が関坂」という名前があったんだ。これも知らなかった。登りきると、国会前の通りに出た。平日の昼間、行き交うのは黒塗りの車ばかり。道を歩く人はひとりもいない。

ここ、朝夕は結構な人通りがあるはずだが。実際、僕もここを通勤路としていた。四ツ谷から霞が関まで、天気がいい日は丸ノ内線は使わずに、いつもこの道をテクテク歩いていた。

ここに憲政記念館という建物があるのは知っていた。前を通過するだけで、一度も入ったことはなかった。今回、初めて門をくぐってみた。

自由行動中の修学旅行生と思しき一団がキャッキャとにぎやかだ。受付を済ませて、二階の展示室へと階段を上がる。

いきなり目に入ってきたのは、朱書きの文字。おー、坂本龍馬の「薩長同盟裏書」じゃないか。朱文字が右下に向かって斜めに流れている。なんともこれは興味深い。龍馬伝の一場面が思い起こされる。寺田屋で遭難した際の傷をかばいながら筆を執っていたな。

その隣は「土佐藩大政奉還建白書」。これは先週、再放送で見たばかり。山内容堂の記した文字は、想像していたよりもずっと小さかった。

そしてその下はいわゆる「船中八策」。船中八策に基づいて覚書の形で記した「新政府綱領八策」が展示されていた。もちろん龍馬の筆だ。

最初の展示ケースだけでもこの面白さ。国会図書館が所蔵するオリジナルをもとに複製したものなのだが、それでも十分に迫力は感じる。

オリジナルの展示品もある。たとえば、伊藤博文を沈めた安重根発射の弾丸。実物が白いハンカチに包まれて展示されている。

たとえば、社会党浅沼委員長が暗殺直前まで手元で読んでいた原稿。これも実物。大きめの字に委員長みずから強調線を入れていた。ものすごいリアリティだ。約束の時間が近づいてきたので、このあたりは飛ばしながら駆け足で。じっくり見たかったな。

意外と楽しかった憲政記念館。目の前を毎日2回ずつ通過していたのに、昔はまったく気に留めなかった。20年近く住んでいた東京、離れてわかるその面白さ、だな。

外にでると、少し日が傾いていた。通りに出ると、新しい庁舎・霞が関コモンゲートを背景に、通い慣れた合同庁舎四号館が日に照らされていた。