首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

思い出のサンフランシスコ

サンフランシスコ。先日見た『GODZILLA』で懐かしく思いだす。

太平洋からゴジラとムートーが向かうは北米大陸の西海岸。画になる場所、東京タワーに匹敵するスポットといえば?そう、サンフランシスコの金門橋。これ一択でしょう。

北米最大の中華街が映る。つり下がる提灯の向こうでムートーが大暴れ。うまくつくるなぁ。CGのレベルの高さに感嘆。

この街も2回しか訪問したことがない。コンパクトで情緒のあるいい街だ。最初は学生時代の大学めぐり。BARTに乗ってUC Berkeleyへ。二度目は働いてからお仕事で。西海岸で金融の中心といえば、ロサンジェルスではなくてここサンフランシスコ。FRBもSanFrancisco。

帰りのエアラインはもちろんJAL。サンフランシスコからの帰途は伝統と栄光の001便と決めていた。そのうち余裕ができたら、復活したHND-SFOのJL001/002にぜひ搭乗してみたい。

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サンフランシスコといえば、ちょっと苦い思い出がある。電話での国際会議。

各国のメンバーで時間をそろえようとすると、いつも割を食うのは東京とサンフランシスコだった。冬時間だと、日本がサンフランシスコの17時間先。欧州の参加国や東海岸の機関の都合を考えると、サンフランシスコが未明に起きて参加するか、日本が深夜まで眠らずに待つか、そのいずれかしかないのだ。

僕の参加したある会議では、Fed SanFranciscoに実力者がいて、いつも向こうの都合に押し切られた。サンフランシスコが午前9時なら日本は翌日の深夜2時。会議が始まるまではとにかく手持ちぶさた。眠気と戦いながら、早くサンフランシスコの夜が明けないかと願ったものだ。

思い起こせばなんだか全部やられていたような。言葉も、理論も、交渉も。