首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

代ゼミの閉鎖に思う

日経の記事から。「代ゼミ、20校閉鎖 浪人生減で全国7校に。

  • 大手予備校「代々木ゼミナール」を運営する学校法人高宮学園は全国27カ所の校舎を7カ所に減らす方針を固めた。20カ所では2015年度以降の生徒募集をやめて休校し、事実上閉鎖する。
  • 代ゼミは大学受験の浪人生を主な対象に運営してきたが、少子化や現役志向の高まりで浪人生が減り、業績が悪化していた。
  • 1957年に開校した代ゼミ駿台予備学校河合塾と並び「三大予備校」と評され、私立文系を目指す浪人生を中心に生徒を獲得してきた。
  • 近年は国立回帰や現役志向の高まりが逆風になっており、浪人生に依存した事業モデルからの脱却を図っている。


人生で一番大きく成長できたのが浪人時代だった。そんな僕にとっては何とも感慨深いニュースだ。

21,450人。これが今年度(2014年)の予備校生数だ。文部科学省の最新の調査「学校調査・学校通信教育調査」。その速報値。

予備校生数のピークは1977年度。23万人もいたというから驚きだ。まさにひとケタ違う。「予備校生です。」と堂々と自己紹介できた時代だったろう。僕の同期は14万人ほど。それでも今よりはずっと多い。
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高校時代は全く勉強しなかった。進学校に在籍している、ただその理由だけで、そこそこの大学には入れるつもりになっていた。現役時代、共通一次はたまたまいい点を取ったが、二次試験は惨敗した。

そして浪人生活へ。背水の陣。生まれて初めて「切羽詰まる」という状況になった。必死で勉強した。なぜ自分はここまでして京大に行きたいかを真剣に考えた。

学んだのは受験テクニックだけではなかった。当時の河合塾にはいろんな講師がいた。大学院在籍のお兄ちゃん先生から全共闘崩れのプロ闘士まで。アカデミアの最前線から世の中の渡り方まで、ありとあらゆることを学んだ。

一生ものの友人もできた。まさに戦友だ。肩書もプライドも自信も、何もないところで出会った。最低の状態をお互いに知っている。だから中年になった今も全く気が置けない関係のままだ。

結局、目標としていた大学には入れた。必死で頑張れば何とかなる。やれば必ずできる。失敗してもやり直しはできる。受験失敗という挫折を、予備校はそんな自信に変えてくれた。高校よりも「河合塾大阪校」で得たものの方がずっと大きかった。

現役で大学に行っていたら、きっとつまらない人生になっていた。