首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

イングランド戦に思う

目覚めたのでニュースをチェック。ああ、イングランド戦をやってるのか。

むくりと起きだして机に向かう。女子サッカーの生放送を生まれて初めて見る。PKを蹴った宮間選手、このふてぶてしいまでの落ち着きったらない。これ面白いぞ。

後半アディショナルタイム、低く鋭く入った日本のアーリークロスイングランドの6番が必死に足を伸ばす。クリアしたはずのボールはイングランドゴールポストに当たり真下にバウンド、枠外に転がった。

明らかにインゴールだった。6番は一瞬両手を広げて抗議のゼスチャーをするも、判定が覆るものではないことはわかっていた。両手を膝につき、首はガクリとうな垂れた。残り時間はない。試合は1つ、2つのプレーであっけなく終わった。

こんな終わり方があるのだろうか。呆然としてしまう。日本の監督がインタビューを受けているのだが、コメントが全く耳から入ってこない。

そのインタビューが行われている透明な広告板の向こう、僕の目が釘付けになった。イングランドの選手と監督が6番の選手を囲み、声をかけているのだ。心中察するに余りあるとはこのことだ。なんて声をかけているのだろうか。そちらの方が気になって仕方がない。勝利者のコメントを聞くどころではない。

“Laura Bassett at the moment is in a hard place, she really is,” he acknowledged. “But Laura Bassett eptiomised pride, passion, never-say-die and play for your team.


“She’s hurting now but she’ll wake up tomorrow and 22 team-mates and the staff will give her a hug and tell her how proud we are of her. I know Laura and the players will be welcomed back home to England as heroes.”


以上はガーディアンにあった監督のコメントだ。なんと心ある言葉だろう。温かさと敬意に満ちている。こういう局面での言葉に人間の品格と本質が現れる。

エラーでサヨナラ負けした高校セミプロ野球の監督の口からはたして出てくるだろうか。なかなか日本人ではこういう表現はできないと思う。なぜだろう。