首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

節分

今年の節分は研修所で迎えることになった。「旅先とはいえ、やはり豆を蒔くべきか」「蒔くとしたら鬼の面は誰かにお願いすべきなのか」「ここは賛同者を募って、銀行業界の繁栄を祈りつつ大掛かりな豆撒きをすべきではないのか」…と拡がる妄想を抑える努力をしつつ、施設の隣にあるスーパー(サミット)に向かった。

節分に恵方巻きは欠かせない。ここ数年はコンビニが大々的に扱うようになったことから、東京でも恵方巻きが一般化している。これは関西人の自己同一性(アイデンティティ)にかかわる問題だ。あまり全国化するのも微妙な気持ちだな。

で、店内、向かう先は「お惣菜コーナー」である。よかった。まだ恵方巻きは残っていた。。。つーか、むちゃくちゃ売れ残っている。ざっと50本はありそうだ。これはこれで微妙な気持ちだ。しかも全部「半額」のシールが貼られている。一瞬「ラッキー」と思ったが、この種の縁起物、半額だからといって喜ぶとご利益にどんな影響があるのかしらん、と思ったり。

部屋にもどり、一人で南南東に向かい、無言で(←ここ重要。恵方巻きは無言で食べるものです)食したのであった。なお、豆撒きについては今年は断念した。

…節分。僕はいくつかの町で暮らしたが、それぞれの地域でそれぞれの迎え方がなされてきた。それだけ、いろんな人が長い間、この日に重きを置いてきたのだろう。

実家に居た頃は、家族で大量の豆撒き(鬼の面付き)をし、そして母親が作った恵方巻きを皆で食べたものだ。京都に下宿していた時は、この町のしきたりを見よう見まねで「いわしの頭」に柊(ヒイラギ)の枝を刺して玄関に飾った。東京では早稲田の穴八幡で一陽来復のお札を戴き吉方に向けてお貼りした。

僕も節分は一年のうちで重要な節目だと本能的に感じる。いま暮らしている沖縄では、この節分を旧正月として祝うようだ*1。なんとなく共通点があるようで、独自性があるようで。馴染みがあるようで、馴染みがないようで。
これからどうなっていくんでしょうねー

*1:今年はたまたま重なっただけで、通常は旧正月と立春は別の日となるそうです。このブログの読者さんからご指摘いただきました。有難うございます。