首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

研修終了

3日間におよぶ「オペレーショナルリスク管理研究研修」終了。今回はとても充実感がある。日本銀行の碓井企画役のお言葉を借りれば「今回の講師陣はオペレーショナルリスク管理のオールスター」。確かに、この分野の奥深さを感じられる内容で、十分に知的好奇心を満たすことができた。僕自身この分野は専門外で、しかも現在の担当でも今後の担当でもないのだけれど、参加させてもらえて本当によかった。

(ここからは研修を受けて感じたことの独り言)
リスクとは“将来の不確実性”である。平易な言葉でいえば「今後起こるか、起こらないかが不明なこと」である。僕は「リスク管理ができている状態」というのは「起こるか、起こらないかわからないことを、うまーく取り扱えている」、「よくわからないことを、実はちゃーんとわかっている」ことだと思っている。オペレーショナルリスクの一つである「事務リスク」でいえば、これを管理できているということは「今後何件か起こるかもしれないし、起こらないかもしれない事務ミスを上手く取り扱えている」「ちゃーんとわかっている」ことだといえる。

実は「上手く取り扱う」というのがミソだ。これは必ずしも「事務ミスを一件も起こさないようにする」「事務ミスを撲滅する」ということを意味しない。もちろん、事務ミスが未来永劫1件も発生しないのであれば、この銀行の事務には不確実性がない、すなわちリスクがないということになる。本当にそれが可能であれば「上手く取り扱う」という意味では確かに“完璧なリスク管理”が実行されているということになるが、実際には事務ミスが1件も起こらない、なんてことはありえない。当局さんだってそんなことを求めているわけではない。
では、事務ミスのことを「上手く取り扱う」「ちゃーんとわかる」というのはいったい何をどうすることなのだ?

  • うちの銀行で起こりうる事務ミスには、こういうものがあります。
  • ミスが発生したらこの様な形式で報告するような仕組みを構築しています。経営者にはこの様なプロセスで報告があがるようになっています。
  • 発生した事務ミスの原因は継続的に分析していて、ミスの温床をなくす努力をしています。
  • 今後(たとえばこれから1年間で)平均的にこれくらいの件数発生します。
  • 金額で言えば、x円ぐらいの損失になります。直接的な損失はx円ですが、後始末にかかる間接的な費用を含めるとx円になります。
  • 10年に一度ぐらいの割合で、これくらい多目の事務ミスが起こるかもしれません。
  • さらに100年に一度ぐらい稀なことではありますが、その時には平均の×倍程度の事務ミスが起こるかもしれません。
  • その場合にはx円ぐらいの損失になります。直接的な損失はx円ですが、後始末にかかる間接的な費用を含めるとx円になります。


…「ちゃーんとわかっている」と胸を張るためには、こういうことを、ひとつひとつきっちりと示すことができなければならない。これくらい示せなければ、わかっているとはいえないのだ。

しかも(ここからが重要なのだが)、リスク管理と言うのは「上手く取り扱えている」「ちゃーんとわかっている」ことを、他者に証明できなければならない。自分自身が「俺はちゃんとわかっている」と思っているだけではダメなのだ。「ハッタリをかましているだけだろ」「えーかげんなウソをいってんだろ」というイケズな当局さん第三者を説得しなければならない。

じゃあ、どうやって説得するか。簡単だ。証拠(evidence)を示せばよいのである。まず箇条書きのうち上の3つは比較的わかりやすい。「あらかじめルール(規定)が定められていて、それがしっかりとそのルールどおり運営されている」。その事実を並べるだけで十分な証拠となる。
下の5つ。これがバーゼル2以降求められるようになった比較的新しいところであり、話をややこしくしている。これには裏打ちのある客観的な数字、が必要だ。より正確に言えば、実際に発生した事務ミスをデータとして収集し、それを“もっともらしい”プロセスによって計算(統計的処理)して、将来の予想(予測値)として把握して示せばよいのだ。

予測値だから、それが正しいかどうかは誰にもわからない。正解(というか、真実の値)を示すことが求められているわけではないし、そんなことは神でもない限り不可能だ。それゆえ、実は話は簡単だ。「もっともらしければ」いいのである。なんのことはない、「こんな感じで計算すれば、それを予測値っていってもいいんじゃないの?」。この程度のことなのだ。

そう、この程度のことなのだ。この程度のことさえしておければ、事務リスク管理体制は当局検査では少なくとも平均以上、きっちりとやっていればA評価だって狙える。事務リスクをゼロにする必要なんてないのだ。

この程度のことではあるが、これを実現するためにはひとつだけ必要な努力がある。それは「いま、世の中では何が“もっともらしい”とされているのか」についての情報を常に収集しておくことだ。リスク管理の手法の進歩、当局の考え方の変化について、しっかりフォローする。予測値をより妥当なものにするため、実務家や研究者、当局は常に精進している。その成果を、いいものであれば自行にも取り入れる、という姿勢がリスク管理担当者には求められる。

銀行の経営者は、何が“もっともらしい”手法なのか、自ら情報を集めて知ることは難しい。その種の情報は、担当者すなわちリスク管理のプロが集めて、経営に報告・進言してあげなければならない。それをやらないから、経営者は「事務ミスを撲滅せよ」というような途方も無い課題を、真っ赤な顔をして担当者に指示しないといけなくなる。あぁ気の毒だ、経営者も担当者も。

繰り返しになるが、事務ミスは撲滅しなくてもいいのだ。そんなことは誰も求めていない。「事務ミス撲滅運動を開始しました」という対応策を打ったからといって、それで「ああ、リスク管理態勢を確立したね」と評価してくれる当局さん人はこの世の中には存在しない。間違いなくその対応策を提出した翌月にでっかい事務ミスが発生する。そんなものである。

この場合、世が世ならリスク管理担当者は切腹である。しかし、撲滅運動の発想から抜け出さない限り、いくつお腹があっても足りないだろう。