首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

日本のソブリン格付

今はマーケットを日々ウオッチする仕事ではない。けれどもやはり前職で深くかかわったこともあり、今日の市場の動きは気が気でなかった。株式市場は今日600円以上下げた。今回の震災が経済や企業業績に与える悪影響を警戒し、東京電力原子力発電所事故、電力供給能力の低下を懸念した国内外の投資家によるリスク回避の売りが膨らんだようだ。そしてこの資金は安全資産である債券に回った。新発10年物国債利回は一時、1.2%を下回る水準まで急低下した。当面はリスク回避の動きが強く、株安・債券高の傾向が続くという見方が強い。教科書通りのflight to quality(質への逃避:市場が不安定な時期に,損失回避のため資金をできるだけ安全な投資対象に移す投資家行動)である。

では、この傾向はいつまで続くのか。もちろん希望は、一刻も早く日本経済が立ち直る道筋がつき、再び株式市場に資金が戻ってくることである。しかしながら、今回の震災は、債券市場からの資金流出を促してしまう可能性もある。その理由は単純で、すでに危険水域にあったこの国の財政状況が一段と厳しい方向に進むことを余儀なくされるためだ。

僕が注目しているのは、今後の格付機関の対応である。日本で公認されている5つの格付機関で、今回の震災を踏まえたソブリン格付けの見直しに公式に言及している機関はまだ見られない*1。この悲惨な災害がまさに進行している中で、自分たちが債券価格の急落(市場の崩壊)のトリガーとなりかねないアクションを執ることについて、格付け機関が相当慎重になることは経験上よくわかる。

しかしながら、まさにこのようなタイミングだからこそ、格付機関は自らの見方・見識を堂々と表明するべきだと僕は考える。格付機関はこのような大きな出来事(イベント)が生じた際にこそ、対象となる格付け先の信用力の変化について情報を適切に提供するという「責務」があるのではないか。それゆえ、格付機関は常に正確な情報を入手する体制を整えなければならず、また自身の格付けロジック(この業界では「クライテリア」と呼んでいる)を洗練させておかねばならない。そのような地道かつ不断の努力があってこそ、今回のようなイベントで適切な判断を行い、速やかに情報提供できるのだと思う。

夕方になって、ブルームバーグムーディーズのアナリストのコメントを配信した。オリジナルのレポートは、ムーディーズの有料サービス契約者のみに配信されるものらしく、僕は原文にあたれていない。しかし、このようなコメントが週明け月曜日に速やかに発信されたということには大きな意味があると思う。

ムーディーズのシニアバイスプレジデント、トーマス・バーン氏は電子メールで配布したリポートで、「日本の政党が今回の危機を契機に長期的な財政課題に取り組まない限り、地震でそのような(注:財政上の)限界点が若干早まった可能性がある」と指摘した。同氏はまた、規模が大きく豊かな日本経済は大災害の衝撃を吸収することが可能だろうとし、財政危機が差し迫っているわけではないと解説。同時に、大災害に伴うコストが「巨額の」財政赤字の縮小に向けた進展を止める公算が大きいと指摘した。


Bloomberg News「米ムーディーズ:巨大地震で日本の財政の限界点早まった恐れ」2011/03/14 16:12 JST

その一方、格付けシェアトップの格付投資情報センター(R&I)の今後の対応にも注目している。同社は1月12日に日本のソブリン格付けを「AAAネガティブ」で据え置いている。その際、「信用力評価では、財政状況や資金調達環境と並んで政策実行力を重視している」としたうえで、「民主党主導の連立政権は一向に基盤が安定せず、R&Iとして長期的な視野に立つ政策体系の構築・実施を確信できる状況にはない」と、政策実行力の視点から厳しい評価を前面に押し出していた。さらについ最近の2月28日には「政局混迷で日本のソブリン信用力に一段と下押し圧力」と題するコメントをリリース、「今後の政治情勢次第では、財政再建のカギを握る税制・社会保障制度改革を進めることが一段と難しくなり、財政再建がこれまで以上に遠のく懸念が強まっている。」と政策面での懸念を改めて強調した。また、このレポートでは次のような重要なポイントが示された。すなわち、「日本は政府債務の負担という面で、AAAの維持がそろそろ限界に来ている」と判断していると述べたうえで、「(野党の取り込みや閣外協力の取り付けなどに伴う政治的取引の結果、)重要な制度改革が先延ばしされ、拡張的な財政スタンスに傾く可能性も出ている。」とし、「その場合は、格下げが避けられなくなろう。」との格付けストーリーを明確にしたのである。

今回の大震災での財政支出増および経済活動の停滞に伴う税収減が容易に見通せるため、彼らのロジックに基けば「限界にきている、すなわち“崖っぷち”のAAA」は、もはやその水準を維持するのは難しい、と解釈するのが自然であろう。彼らのロジックでは、この国難を契機に民主党の政策構築力とその実行力が急速に向上する以外、格下げを回避することは難しいといわざるを得ない。彼らはロジック構築の過程で彼ら自身を袋小路に追い込んだのだ。この期に及んで、先に述べたような「トリガーを引きたくない」という理由だけで格下げアクションを回避するのであれば、彼らは格付機関としての看板を自ら下ろすしかないであろう。

ご理解いただいているいるとは思うが、僕は単純に「ソブリン格下げ」を望んでいるのではない。格付機関においては「格付けロジックに則した対応」と「適時の格付け変更アクション」は存在価値そのものだ、と僕は考えている。格付機関は自らのロジックに殉じるという気概をもって立ち振る舞ってほしい。格付けというビジネスの必要性と可能性を信じているからこそ、僕はそのように願う。

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(2011年3月17日追記)

やっと今日、R&Iはコメントを発表した。「東日本巨大地震、日本のソブリン信用力に試練-国難克服への動き見守る」と題されたこのコメント、読んでみたけれども、今後の日本の信用力を左右する要因が何なのか、お世辞にも明確に示されたとは言えない。前日16日に公表されたフィッチ・レーティングスのコメント*2と比較して見ればいい。地震の影響についてフィッチは、経済への影響と財政への影響に分けたうえで、何が格付けにマイナスで、どのようになった時に格付けの引き下げが行われるのか、投資家にポイントを示している。結論として、格付けへの影響は限定的という判断をしている。
そしてR&I。リリースを読んでもロジックがよく見えないが、概ね次のような主張であろう。

  • 今回の地震の影響として、「回復途上にあった日本経済へのダメージは避けられない」「被災地復興のための財政支出が必要となってくるとみられ、財政の面でもマイナスの影響」というマイナス側面がある。
  • 一方、今回の地震によって「国民の増税に対する極度のアレルギーが緩和される可能性」「未曾有の国難を前に、与野党が不毛な政治対立を繰り返すことはありえず、危機の克服に向けた取り組みが前進する」というプラスの側面も期待できる。
  • 現状日本の財政の構造的な懸念に変化はなく、地震によって債務負担が拡大することは間違いないと認識している。
  • 今後日本の格付けが下がらないために問われるのは「政策運営力」である。具体的には、まず「2012年度予算」である。与野党が一体となった建設的な予算編成がなされるか注視していく。


前代未聞のコメントである。一般的な格付け評価の論理が見えない。“与野党が一体となる”とは?。“建設的な予算編成”とは?。日本に拠点を置く格付機関が自国のソブリン信用力という基盤中の基盤について、このような床屋談義レベルの基準で決めてしまおうとしている。残念というより、愕然とするばかりだ。国難が来て、日本の政治のレベル、民主党の統治能力が突然高まると期待でもしているのだろうか。R&Iは自国のソブリン格付けをさらに袋小路の奥へ追い込んだ。

*1:日本格付研究所(JCR)は、コメント「東北地方太平洋沖地震の影響について」を発表したが、企業の格付けへの影響を概観するものであり、ソブリンへの影響には直接言及していない

*2:2011-3-16「地震による日本のソブリン格付への足元の影響は限定的」:無料登録が必要。