首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

地震にくじけない

昨日から今日にかけて、東北・関東に住まう友人たちと相次いで連絡を取ることができた。沖縄は幸いにしてこれまで通りの生活を送ることができている。彼らが金曜日に味わった恐怖、それ以来直面している苦労。それを直接耳にすると、なんとも言えない気分になる。

まず、仙台に暮らす親友から電話をもらった。金曜日から自分のクルマの中で避難生活を送っているという。命綱の携帯電話をどうやって充電するかで必死だった、という言葉は重く、それについて“共感できる”というのはあまりに軽率で憚られる気がした。霞が関で一緒に働いていた後輩の元部下からメールをもらった。金曜日は14キロの道のりを歩いて帰宅、週末は身体がボロボロだったそうだ。また、計画停電のもとでの通勤は怖ろしいほどの混雑、余震も続き、原発の放射能も降ってくる状況では“このままでは人も社会も疲弊してしまう”と。

今日はプロジェクトのアドバイザーをお願いしている東京のコンサルタントさんたちが来沖された。当日は出張先の秋田や山形、山梨で罹災。その直後、トイレで水道の蛇口をひねったところ、一滴も水がでてこなかったので「これはただ事ではない」と感じたこと、真っ暗ななかでホテルを探し歩いたこと、帰京するする手段がなくて駅のみどりの窓口で眠ったことなどを直接うかがえた。あと、都内において食料等の買い占めは激しい、と。秩序立って行動する日本人の美徳に改めて誇りを感じつつも、やはり当事者はギリギリの状態にあるのだなと認識せざるを得なかった。

「何でもいいから、役に立てることを言ってくれよ」今はこの言葉を言うしかできないが、とにかく本当に自分にできることは何でもする。