首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

三連休最終日

三連休最終日、久しぶりに風邪を引いてしまったようだ。頭の前半分が痛い。寒気がする。上下ともフリースを着込む。コーヒーではなく生姜湯を飲む。ああ、風邪だわ。

無職なのに三連休という概念があるのか、と不思議がられるかもしれない。ええ、間違いなく休日です。マーケットが閉まっているから。僕の今の職業は「個人投資家」ですから。

それにしても米国の債務上限問題はまだシコっている。最終期限の17日まで余裕があるといえばあるが、気が気ではない。すでに10月09日のブログに書いたが、どうか取り返しのつかないことにはならないように。

この問題、その本質をどれだけの人が理解しているやら。金融リテラシーがどの程度高いかの評価をするのにもってこいだと思う。たとえば我らが麻生財務大臣。もうちょっと発言に気を付けてほしいぞ。

何かというと、先日のG20財務相・中央銀行総裁会議後の囲みインタビュー。「債務上限問題は米国だけではなく、世界経済や金融市場に与える影響が極めて大きい。」と発言。そうそう、そのとおり。しかしそのあとが違うんだよなぁ。

デフォルトすれば、ドルが信認を失い、米国債はただの紙切れになるのだから、早期解決を期待する。

いやいや、それは煽り過ぎでしょ、麻生さん。紙切れにはならないってば。仮にデフォルトしたとしても、債権(米国債)の価値自体はほとんど変わらず残っている。現在の米国においては、サマーズが言うとおり、「財政赤字は二次的な問題にすぎない」のだ*1。米国契約通りのタイミングで利払いが実施されなかったらそれは契約違反、すなわち債務不履行(デフォルト)だが、LGD(Loss Given Default)は限りなくゼロに近いから、債券の価値はほとんど変わらない。日本政府の保有する米国債が紙切れになるなら、ぜひ僕にください(笑)。

サブプライムローン仕組み債がデフォルトするのとは全くわけが違う。あれはまさに砂上の楼閣で、中身はスカスカ、回収可能性が限りなく低かった。まさに紙切れ。しかし今回は全く違う。価値はあるのだ。だからこそ、つまらないことでデフォルトなんてさせてしまったら取り返しがつかなくなる。

問題の本質は、デフォルトに伴う連鎖的な影響である。絶対的な安全資産である米国債がデフォルトすることにより、全世界にある金融契約の多くが契約の不履行あるいは見直しを強いられる。その影響範囲、規模はどの程度か本当に想像もつかない。サブプライムローン問題の際、AIGが負っていた保証契約をデフォルトさせないため、どれだけのコストが掛けられたか思い返せばよい。あの程度の連鎖であっても、全世界の金融市場は崩壊寸前までいったのだった。

こんなことでヒヤヒヤしなければならないのは本当に馬鹿らしい。上記コラムで、サマーズが次のように書いていた。

But there is a chance future historians will see today’s crisis as the turning point when American democracy was to shown to be dysfunctional – an example to be avoided rather than emulated.

笑。後世の歴史家に「あれがターニングポイントだったね、米国民主主義の機能不全の。真似しちゃだめだよ。」と言われないようにしてもらいたい。頼みます。

*1:Lawrence Summers, "The battle over the US budget is the wrong fight" Financial Times, October 13, 2013