首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

チャリティマッチ

昨日は「日本代表」vs「Jリーグ選抜」のチャリティマッチを楽しみに早めに帰宅。7時からだと聞いていたのでチャンネルを変えるが、ん?なぜやってないんだ?パソコンで番組表を確認すると、なんと!沖縄では日テレ系の放送局がない!2年間暮らしていて初めて知りました。まったく民放テレビは見ないので。

インターネットの速報で、カズがゴールを決めたことを知る。ホントなのか?数日前、日経新聞で読んだ彼のコラムが頭をかすめる。何としても見たくて、youtubeに上がるのをひたすら待ち続けた。

昔から僕はアンチ読売で、彼のことはヴェルディの選手としての印象が強く、ファンという感情をこれまで持ったことはない。フランスワールドカップ、最後の最後で「外れるのはカズ、三浦カズ」と宣告されてから12年。表舞台から去った後はJ2に所属していること、しかもレギュラーさえも確約されていないこと、それでも現役にこだわり続けて厳しく自らを鍛えていること、それくらいの情報は気になって仕入れていた。

なぜか。実は僕と彼とは同い年。しかも誕生日はちょっと違い。彼が老体にむち打って、ストイックにボールを追う姿に、ある種の共感を感じているのだ。彼が連載している日経のコラム「サッカー人として」を僕はいつも楽しみに読んでいるが、今週(3月25日)は東日本大震災をふまえ、次のように書き出されていた。

生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。

「今のオレ、価値がないよな」。震災から遠く離れた沖縄で、その沖縄のちっぽけな会社で、会社の定例の人事異動で、なにやら翻弄されている自分こそ、価値がないよな。そう考えながら朝刊のスポーツ面にあるこのコラムを読み進めた。

サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。(略)


暗さではなく、明るさを。29日のチャリティーマッチ、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。

チャリティマッチを楽しみにしていたのは、この言葉があったから。どんなプレーをするのか、自分の目で確かめたかった。もしかしたら、彼がぶざまなプレーをしても、あるいは会心のプレーをしても、無理やりにでも自分の姿を重ねて共感したかったのかもしれない。かくして10時を過ぎ、ようやくyoutubeに映像をアップする人が現れた。

ああ、なんというファンタスティックなゴール。こんなことがあるのだろうか。カズダンスの決めポーズ。右手の人差し指を腕全体をしならせるようにして空に突き刺し、そして振り返って両手を広げる。僕は鳥肌が立った。リバースアングルからのスローモーションに、不覚にも涙腺がゆるむのを抑えきれなかった。この映像には実に多くのコメントが寄せられている。その多くが勇気を与えてもらったというものだ。彼の思いは伝わったのだ。
全力で、必死に、真剣にプレーしたからといって、思いは伝わるとは限らない。しかし、全力で、必死に、真剣にプレーしなければ、思いは決して伝わらなかっただろう。