首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

逝く夏に寄せて

今日で10月が終わる。●●を退職して3ヵ月。季節がひとつ過ぎた。

穏やかな毎日ではある。本を読んだり、音楽を聴いたり、ものを考えたり。

これまでと変わらないようだが、ともかく時間に余裕がある。これは大きな違いだ。例えば、同じ本を二回読み返すことができるようになった。録画した番組を二回見直すことができるようになった。これがなんと素晴らしいことか。

  • 学(まな)びて時に之(これ)を習う亦(また)説(よろこ)ばしからずや

論語の本来の趣旨とは違いますかね(笑)。それにしても、習うということ、すなわち反復して、咀嚼することが楽しいという意味では通じるところがあるだろう。一度読んで、一度見て、それでわかった気になっていたことがどれだけ多かったか。急き立てられるように、効率性や目に見える成果に縛られていたこれまで日々を悔やむ。

一方で、●●を退職したことについては、悔やむ気持ちは微塵もない。適切に表現するのは難しいのだが、「正義のない、卑しい場所」にこれ以上身を置くことは、自分にはもう耐えられなかった。4年半もよく我慢したと思う。このブログを読みなおしてもよくわかる。リスク管理部の上司が変わるや、理不尽な虐げが。●●●●部に異動後も変わらず酷い状況。もうブログを書く気力さえも無くなった。

沖縄にもおそらくいろいろ人間がいて、いろいろな組織があるのだとは思う。どん詰まりの地方銀行という業界、そこに下劣な人間が多数いたというだけで判断してはいけないとも思う。ただ、今はできる限り彼らとの関わりを避けたい。ここ4年半で溜まった心の垢を落とすことに専念するのみだ。

沖縄には仕事はない。「もったいない。東京に戻ってくればいくらでも仕事がある」と言ってくれる先輩や仲間はいる。うーん、なんだかもういいやという感じだ。この地で、あの銀行で、あまりにもつまらない人間を見過ぎた。これまで知らなかった、知りたくはなかった人間の邪悪さを目の当たりにした。残り少ない人生。貴重な時間を切り売りして、小ガネを稼ぐ必要もなかろうと。どうせカネはあの世にもっていけないのだし。

ともかく時間に余裕がある。しかも退屈は全く感じない。外食はまずくとも、自分でつくればまともなパスタだって食べられる。あと、インターネットがあるしね。これがなければ、たぶん沖縄では耐えられなかったな。マスコミも、図書館も、銀行も、これまで利用してきたものとはあまりに違ったので。

明日から11月。懸案のピアノの調律をお願いしようかと。あと、明日から始まるiPad Airの予約も忘れずに。