アンパンマンの心
昨日の続きでアンパンマン。
「アンパンマンのどこが好きか」という問いに、「アンパンあげるところ」と答えた女の子がいた。「アンパンマンのやさしいところが好きなんだ」と明言する男の子もいた。
アンパンをあげる。自分の顔を、自分自身をちぎって差し出す。顔が欠けると、元気を失い、フラフラになってしまうというのに。
「心に響く世界最弱のヒーロー アンパンマンの正義」というインタビューを見つけた。*1。
誰かを助けるとき、アンパンマンは自分の顔を食べさせる。なぜそんな従来とは異質のヒーローにしたのか、と問われたやなせさん。僕はその答えに引き込まれた。
■怪獣には怪獣の正義がある
悪いヤツをやっつけるのが従来のヒーロー。ウルトラマンなら、怪獣を倒す。正義が勝つ。しかし、正義というのはそういるものだろうか、とやなせさんは言った。
正義というのは、そういうものだろうか。怪獣には怪獣の正義があるんじゃないか。僕なんか、そう思うわけです。
世界中にはひもじい子ども、飢えた人がたくさんいる。もし、正義の味方なのだったから、まずひもじい人を助ける方が先じゃないか。それがヒーローとして正しいのではないかと思ったわけです。
プライオリティ、優先順位を間違えてはいけないのだ。敵には敵の正義がある。まず何をすべきか。敵を打ち負かすことではない。何よりも、ひもじい人、苦しんでいる人、弱い人を助ける方が先だろう?、と。なんと深くて強烈なメッセージだろうか。
■自分が傷ついても貫く正義がある
アンパンマンは自分の顔を引きちぎり、人にそれを与える。「なぜかというと」とやなせさんは話す。
正義を行うときには、自分が傷つかずにはできないという考えが、僕の中にあるからです。自分はまったく傷つかないままで、正義を行うことは非常に難しいということなんです。
列車にひかれそうになった人を助けようとして命を落とした警官、川で溺れた子供を助けようとして飛び込み死んでしまった教師。人助けは死んでしまうこともある。
電車内で喫煙する人がいた。それを注意したところ「なんだテメェ、余計なことを言うな」と殴られることもある。会社の不正を内部告発したところ、他の会社からも阻害され、まったく仕事が無くなった人もある。
このような例を挙げたやなせさん、「しかし、正義のために、それをせずにはいられなかった。そういうことなんです。」と言った。
正しいことをする場合、必ず報いられるかというとそんなことはなくて、逆に傷ついてしまうこともあるんです。傷つくかもしれないけれど、それどもやらなければならない時がある。
ですから、アンパンマンは、顔を渡すたびにエネルギーが落ちて行くんです。落ちていくけれども、それをせずにはいられないんですね。
「アンパンマンを作ったときには、ほとんどの人から、こんな話は今の子どもにはウケない、やめた方が良いと忠告されました。」とやなせさんは言った。「顔を削るのは残酷です、やめてくださいという抗議をもらいました。」とも。
まず、子どもはピンときた。そしてアンパンマンを受け容れ、熱狂的に支持したのだ。
僕は子供たちにずっと遅れてこのお話を知った。人生も半ばを過ぎてから、アンパンマンの心に触れた。
でも、まだ遅くないはずだ。