緊縛/小川内初枝
いつかは読むだろうと思いながら、なかなか手に取れなかった。初版第一刷が2002年とある。そうか、12年も経ってしまったのか。
巻末の略歴によれば、小川内氏は1966年大阪府生まれ。大阪女子大学学芸学部国文学科卒業。広告・出版会社をはじめとして数度勤め先を変えながら小説を執筆。2002年、「緊縛」で第18回太宰治賞受賞。
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小川内は高校の同級生だ。同じ教室で学んでいる。僕は生気のない、影の薄い生徒だった。小川内は僕の記憶がないだろう。
しかし、僕はよく覚えている。1年の時の印象がとても強い。大阪府は学区制が敷かれており、母校は地域の最難関校だった。僕は電車で20分ほど離れた、新興住宅地のはずれにある中学から進学した。まあ、田舎者だった。
小川内は都会の女の子だった。歴史ある住宅街の真ん中にある中学だったと思う。奴は驚くかもしれないが、とても大人に見えた。正直、まじめな生徒ではなかったな。しかし先生の指導もさらりとかわし、いつも颯爽としていた。
成績は僕よりよかった。うちの高校はクラスで5番以内で京大、10番以内で阪大に合格する程度のレベル。僕は最初の中間試験で5、6位ぐらい。確か小川内はそれよりも上だった。僕の場合はこれで何となく世の中を甘く見てしまい、その後成績は絶望的に降下していったのだが。
勉強もせず、遊びもせず、考えもしなかった。何もかも中途半端。あの時代の自分が一番嫌いだ。今でも高校時代にだけは戻りたくないと思う。当時の僕は誰と話す時も緊張していた。その裏返しで、努めてひょうきんな男子を演じていた。
小川内とは3年でも同じクラスになった。奴と話す時は特に緊張した。何もかも見透かされている感じ。進学校の生徒なのに、受験を何か自分から遠いものと思っていたのではないだろうか。達観したような透徹な視線が印象に残っている。
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読み終えて、後悔した。この本が出版された12年前に、遅くとも僕が30代のうちに読んでおくべきだった。
この何ともべっとりとした同時代感。バブルの燃え残り世代の軽い職業意識も、ぬめりとした人間関係も、その文章は同じ世代ならではの生生しさで迫ってくる。
大阪の人間が抱く東京との距離感も共有できる。大阪の、とりわけ大阪南部の独特の湿度は、読んでいて息苦しくなるほどだ。
何よりも、親子の、そして姉妹の間にある複雑な感情の表現は見事だ。女性の中にある世代の感覚。これを「母性」と呼べばいいのだろうか。30代になり、家庭も持たず、子どももいない。そんな高学歴者のざらついた心象を、ショッキングな舞台と道具を用いてあぶり出している。
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「同級生」であるとは、同世代であり、同郷であるという以上の意味を持つ。同じ風景を見て、同じ空気を吸って育った。こんな貴重な作家が存在するとは、僕はなんと幸運なことか。
身を削るような作風ゆえなのか、出版不況のあおりなのか、最近は寡作になっているようだ。そのプレッシャーは想像を絶する。本当に大変だろうが、絶対に筆を折らないでほしい。
遠く離れた沖縄にも、作品を心待ちにしている読者がいる。どうか伝わるように。