首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

東日本大震災

3年前のこの日、僕は南大東島にいた。

地震発生は14時46分。その時、僕はこの写真を撮っていた。那覇への便の出発時刻は16時25分。まさに旅の終わりだった。

手前の水たまり、これは露天風呂ではなく「塩屋プール」。砂浜のないこの島では、泳げるのはこのような天然のプール、潮だまりだけだ。

ここは島の北岸。水平線の向こうに北大東島がクレープのように浮かぶ。馴染みのない群青色の海。白波は立っているが、荒れているのか穏やかなのか判断がつかない。その場にいるのは僕一人だけ。

どこからか、防災無線が流れた。確かに聞こえた。津波に注意。海岸から速やかに離れるように、という。

緊張するはずもない。まったく揺れは感じられなかったし。この島ではsoftbankiPhoneはつかえないので、ネットはもちろん電話も通じない。

その時、この群青色の海の彼方で、大変な惨事が起きていたのだ。夜、那覇に着陸するまで、状況を把握することができなかった。帰宅して、初めて事態の大きさを知った。

南大東島津波が到着したのは17時12分。高さは19センチだったようだ。
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地震発生から那覇に戻るまで、その時間の分だけすっぽりと何かが抜け落ちている。この震災の実感がわかない。これが僕の正直な感覚だった。

その年の秋、親友の住む仙台を訪ねた。そこで、この震災を肌で感じた。この震災を初めて実感した。

写真が撮れなかった。シャッターを押していいのかためらった。ためらう以前に、ファインダーを覗けなかった。こんな感覚は初めてだった。傷ついた軽トラックを一台、カメラに収めるのが精いっぱいだった。

まだ自分の中で、どうにも納めあぐねている。3年目の今日も、それが正直なところだ。

頭がずんと重い。いろいろあるが、今日だけは気持ちを穏やかにしておきたい。