『Fury』
単なる反戦映画ではない。もちろん戦争賛美でもない。宗教映画というジャンルがあるとすれば、この映画はそれにカテゴライズされるべきだろう。
絶体絶命の場面。「バイブル」と呼ばれる男が聖書のある一節をつぶやく。ブラッド・ピットが演じる「ドン」がいう。「イザヤ書の第6章だな。」戦車の中はなんとも満ち足りた空気に包まれる。
僕は仏教徒であって、クリスチャンではない。しかし、この場面は感動的だった。何か信じるもの、頼るものがあることの有難さを感じることができた。これはクリスチャンに限ったものではない、普遍的なものだと感じた。
そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
イザヤ書 第6章第8節
最後の場面、そのフレーズが頭をよぎった。遣わされなかったノーマン。彼を見逃したのは若きドイツ兵だった。救護する赤十字隊員の「君は英雄だ。」という言葉が空虚に響く。
アメリカ賛美、ドイツ(正確にはナチスドイツ)否定という単純な図式ではなかったのがいい。僕が思っていたよりも、アメリカの懐は実は深いのかもしれない。