首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

千鳥が淵の桜

就職が決まり、京都から東京へ移り住んだ。

最初に驚いたのは、桜だった。どこを歩いても見事な桜が目に入る。京都の街では感じたことのない華やかさ。確かに東京は花の都だった。

「どこの桜が好きか」と聞かれると、これにはうまく答えられない。ただ、千鳥が淵、ここの桜は別格だということだけははっきりと言える。

完璧な桜だった。大手町で働いていたころは、夜遅くオフィスを出て九段下までよく歩いた。人波の引いたあと、ゆっくりと味わう夜桜。これは格別だった。
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そのころは、まだ濠のほとりにフェアモントというホテルが立っていた。ここがあの名曲、「経る時」の舞台である。それを知る人は少なくないと思う。

少なくはないが、どんどん個々の記憶からは薄れていっているはずだ。フェアモントが閉じて、もう12年にもなるのだから、何とも時の経つのが早いことよ。

これで時の経つのが早いというのであれば、この曲をラストに収めたアルバム「REINCARNATION」はいったいどうすればよいのか。発売されたのが1983年2月だと。もう31年が過ぎたというのだから気が遠くなる。

例によって転調が絶妙なのだ。コードをたどるのが面白く、ピアノでよく弾いては唄っていた。しかし、子供のころは、この曲の深さを全く理解できていなかった。こんなスケールのでかい曲はそう滅多にない。

曲の舞台はフェアモントのティールーム。千鳥が淵の桜並木に面している。

窓際では老夫婦が
ふくらみだした蕾をながめてる


薄日の射す枯木立が
桜並木であるのを誰もが忘れていても


何も云わず やがて花は咲き誇り
かなわぬ想いを散らし 季節はゆく


座っているのは老夫婦。それを眺めているのは、まだ若い女性だった。近くで働くOLなのだろうか。それとも、この千代田界隈で学生時代を送ったのだろうか。

離れていった人のことを、彼女はこの席に座っていつも思い出していた。夏も秋も。桜の咲く前も、そして桜が散る時にも。

二度と来ない人のことを
ずっと待ってる気がするティールーム


水路に散る桜を見に
さびれたこのホテルまで


桜の花びらで敷き詰められた地面。それをユーミンは「うす紅の砂時計の底」に例える。

だとすれば、空を舞う桜の花びら、それはもちろん「ガラスのくびれから落ちる砂時計の砂」ということになる。

桜の花びらは、3分間だけこぼれ落ちてくる、ピンク色した砂なのだ。ティールームの席に降ってくるのは、可視化された時間そのもの。

舞い落ちる花びらでピンクに染まった空間。それを地面に垂直に立てた軸で測り、縦にした筒の内側から描写する。ユーミン以外は思いつかないし、思いついたとしてもこれほどの完成度で描ききることはできない。

桜の花びらの舞い散る圧倒的な光景とともに、この曲は締めくくられる。それはそれは、めまいのするような美しいフレーズだ。

四月ごとに同じ席は
うす紅の砂時計の底になる


空から降る時が見える
さびれたこのホテルから

千鳥が淵の桜。それは1年に一度だけ、誰かの手で裏返される、淡いピンク色した砂時計なのだ。

思えば、このアルバムには「輪廻転生」と訳される壮大なタイトルがついていた。自分が年老いるまで、そしておそらく死んでからもずっと、この美しい砂時計は正確に3分を測り続けるのだろう。