首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

OKICAは死んだ

今朝の日経新聞、沖縄・九州地方面の小さな記事。

「沖縄の公共交通 IC乗車券、10月開始」

日本経済新聞地方面 1/29/2014

あ、知らないうちに決まってたんね。朗報だ。これで便利になるわあ。本土からの観光客、出張者もきっと喜ぶでしょう。

と思ったところ、次の一文に愕然。

  • 運用コスト面などから他地域の交通系ICカードとの互換性は持たせないという。

はあ?

呆れてモノもいえないわ。バカさ加減にも程がある。なんで?なんで互換性を持たせないという判断がありうるの?

去年の3月、国民の多くが待ちわびた画期的なサービスが始まった。「交通系ICカード全国相互利用サービス」だ。まだ記憶に新しい。

交通系ICカード全国相互利用サービス

出所:wikipedia

  • ICカード乗車券は基本的な技術仕様が共通で、発行する会社や団体が合意すれば相互利用が可能となる。
  • しかし、参加する鉄道・バス会社ごとにシステムの改修費が必要となるため、一部の事業者に相互利用の拡大に慎重論があった。
  • ICカード乗車券の普及や利便性を向上させるには、避けては通れないと各事業者は判断した。
  • これにより10種類ICカード乗車券のうち1枚を持っていれば、出張先や旅先での交通機関でも利用できるようになった。

沖縄でやるとすれば、当然この枠組みに乗っかるのだと思い込んでいた。相互利用を前提としたシステムを最初から構築する。要するコストは「システムの改修費」だけなのだから、改修の必要がない沖縄は後発メリットを見事に享受することができる。むしろここまで軽はずみに手掛けなかったことで、一周遅れでトップに立つような状況になった。僕はそう思い込んでいた。

しかし。互換性は持たせないというのだから驚きだ。意味がわからない。はっきりと申し上げよう。この仕様であれば、沖縄県民も他都道府県民も、全くこの仕組みの恩恵を受けない。カネの無駄でしかない。

施策担当者は、ゆいレール那覇空港駅の行列を知らないのだろうか。観光客が自動改札口で「え、ここはsuica使えないの?」と立ち往生するのを見たことがないのだろうか。そうか、県庁の役人は空港まで公用車が迎えに来るから、現状を知らないのかもしれないな。

僕は何度もその光景を見たし、実際に来沖する友人の不満の声も聞いている。旅慣れた人であればあるほど、「なぜ自動改札を通れないの?」と感じるのだ。他の空港であればそれが当たり前だから。

スタンドアローンで運用するのであれば、このOKICAと他のカードを両方持たなければならない。観光客がデポジットを支払ってわざわざ購入しますか?購入するわけないでしょ。ああ、来県客のことは全く考慮に入れていないということなんですね。

相互利用サービス。これがあれば、県民が本土に行った時もきっと助かると思う。いま自分が持っているカードをそのまま使って乗車できるのだから。羽田空港からモノレールに、福岡空港から地下鉄に、新千歳空港からJRに。もう運賃表とにらめっこする必要も、小銭を片手に行列する必要もない。
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沖縄県と沖縄ICカード社は、コスト試算結果を開示するべきだ。相互利用サービスを提供することによって生じる追加的な「運用コスト」がいかほどのものなのか。県民と他県からの来訪者の便益と比較して、どれほど大きなものなのか。ネットワーク外部性の評価も当然しているはずでしょ? 本当にぜひ教えてほしいよ。

「運用コスト」というのがポイントかもしれない。「導入に伴う初期コスト」ではなく、導入後に発生するのが「運用コスト」。沖縄ICカード社は、このコストを抑えたいのかもしれない。

いま、沖縄県には使いきれないほどの交付金が手元にある。いまは何でもカネを出せる。資金は湯水の如く使えるので、導入コストは実質ゼロだ。沖縄ICカード社も、もらえるものはもらっておこう、というスタンス。

しかし県と沖縄ICカード社、とにかく運用コストを削りたいのだ。相互利用で運用するコストが少しでも余分にかかるのであれば、余計なことはせずにスタンドアローンで運用するのが合理的だ。ええ、県民と他県からの来訪者の便益なんぞ、当社の知ったこっちゃないですわ。

・・・と、こういう発想なのではないか。そう理解しなければ、観光立県を標榜する沖縄が、このタイミングで相互利用サービスに踏み切らない理由が見つからない。

カネが湯水のごとく使えるというのは、かえって罪作りだな。どんな施策が望ましいか、経済合理性に基づいた判断ができなくなる。真っ当に考えることが馬鹿らしくなる。そして良貨は悪貨に駆逐される。

沖縄ICカード「OKICA」システムは、全く価値のない存在だ。IC乗車券「OKICA」は発行される前に、すでに死んでいる。

この地でひどいのは銀行だけではなかった。