転宅
両親への敬老の日のプレゼントを探していて、ある曲のことをふと思い出した。
小学生の頃よく家に流れていた、さだまさしの曲だ。タイトルを「転宅」という。
ともかく暗い曲調だった。アレンジも地味だった。当時はカセットテープかレコードだったのでスキップしにくい。CDやiPodだったら確実に飛ばして聴いただろう。
はっきりいって苦手な曲だった。なにしろ、歌詞が何をいっているかよくわからない。単語の意味はわかるが、それを文章として把握することができないというか。ほとんどお経を聞くような感じだった。
今回、30数年ぶりに思い出し、聴き直してみた。今、初めてその歌詞の意味を知ることになった。しかも切実に。
親父が初めて負けて
大きな家を払った
指のささくれ抜くみたいに
後ろ向きで荷作りをした
さだ氏が幼少の頃、お父上が事業に失敗された。それまで住んでいた邸宅を引き払うという歌だ。小学生のころの僕は、平凡ながら堅実なサラリーマン家庭に育っていた。歌の出だしから想像の外の世界だった。
それから移り住んだのは
学校の裏通り
そこではじめて家で過ごす
親父の背中を見た
2番はこの歌詞で始まる。負債を抱え、立派な家を引き払い、裏通りにある暗く小さな借家に移る。それまで休日もなく、昼夜を問わずバリバリと働いていたお父上は、傷心のまま家で一日を送ることになった。
小学生の僕が一番分からなかったのは、これに続く次のフレーズだ。
ひとつ覚えているのは
おばあちゃんが我が子に
「負けたままじゃないだろう」
と笑い乍ら言ったこと
当時の僕は「おばあちゃんが我が子に負ける」ってどういう意味やろ?と思っていた記憶がある。あー、ほんま阿呆やね。
今の僕は、このフレーズの意味が身にしみる。おばあちゃん、つまりお父上のお母さまは、傷心で塞いでいる息子に対して声をかけている。精一杯気を遣いながら。勇気づけながら。
いくら本人が納得していても、家族の気持ちは穏やかではないだろう。その本人が残念さ、無念さを隠しきれないでいるのなら、なおさらだ。
実際、僕は実家の母にとても心配をかけているようだ。今月初め、メールをもらって僕の心は錐で刺されるように痛んだ。
9月になりました。いつも あなたのメールにどうしているかと 光があたることを報われると信じて朝を迎えています。
このまま負けたままじゃないだろう、と。心配掛けて申し訳ない。申し訳ないけれども、僕にはもう「立身出世」という意味での光があたることはないのです。
でも心配しないでください。何が勝ちで何が負けか、人生終わってみるまで分からないですよ。
人生は潮の満ち引き
来たかと思えばまた逃げてゆく
失くしたかと思えばまた
いつの間にか戻る