首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

短い野球人生 飼い殺しは罪だ

今日の日経電子版、権藤博氏のコラムを読む。

短い野球人生 飼い殺しは罪だ」というタイトル。大家友和投手の話だ。メジャーで活躍し、野茂英雄黒田博樹松坂大輔に次ぐ4位の通算51勝を誇る。

高校卒業後、横浜ベイスターズに入団したものの、4年たっても芽が出ない。その大家をボストン・レッドソックスに移籍させるよう提言したのが当時監督だった権藤氏だという。

京都新聞による大家へのインタビュー記事ではかなり異なるニュアンスで書かれている。球団に大リーグの教育リーグへ行かせてほしいと頼んだのは大家自身であること、渡米希望を球団に伝えながらも叶わなかったこと、自由契約となりレッドソックスマイナー契約できたこと。記事からは、はじき出されるように渡米したような印象を受けるが、実際は権藤氏の助言が大きかったようだ。

キャンプで大家の潜在能力を見抜き、惚れこんでいた権藤氏。ぜひ1軍で使いたいと考えていたが、いざ開幕という段になると大きく調子を落とす。疑問に思った権藤氏はその理由を探った。

大家に未練があった私はいろいろ周辺を取材した。2軍の打撃投手ら裏方さんたちに聞くと、どうも人間関係がうまくいっていないらしい。


周りにいびられ、コーチには「そろそろいつものアレが出てくるだろう」と、毎年開幕前に失速してしまうという嫌な“過去”をほじくり返されていた。この種の記憶は勝負の世界に生きる者にとって、一番呼び覚ましてはいけないものだ。それなのに、コーチがまた傷口を開けるようなことをするとは……。大家にとってシーズンイン前の失速はすっかりトラウマになっていた。

なつかない部下をいじめるコーチ。大家は純粋すぎたようだ。京都新聞の記事にはこうある。

1994年春。小学生のころからの夢だったプロ野球選手になった。でも、初めてのキャンプで違和感を感じた。「早く家に帰りたい」と言い出す選手がいたり、練習をだらだら過ごしたり。18歳の大家の目には「野球に打ち込んでいる人ばかりではなく、がっかりした」と映った。

純粋な野球への思いが強いゆえに、人間関係につかれ果てる大家。権藤氏はその大家を思いやる。

このままではダメだと私は思った。日本の球団は何せ組織が小さい。変わりばえのしないコーチ陣と年がら年中顔をつきあわせて、野球をする以前に人間関係で疲れ果てているようではどうしようもない。

彼の能力を眠らせておくわけにはいかない。「全くの新天地なら、一からリセットできて、戦う気持ちがわいてくると思った」と権藤氏はいう。日米間のトレードが難しかった当時のこと、自由契約にせざる得なかったのだろう。自分の部下を切る形にして、大家を米国に送り出した。

簡単に放出して、よそで活躍されたら面目まるつぶれ、という心理が球団フロントや首脳陣に働くのだ。せこい話だが、球界に限らず、人間の集まりにはつまらないプライドやジェラシーに動かされている部分が必ずある。会社勤めの方ならわかるだろう。


日本は組織が小さいから、2軍でだめなら3軍でというわけにもいかない。そもそも試合数が少ないから、実戦で実力を証明する機会すら乏しく、身動きがとれなくなる。こうして「飼い殺し」の状態が生じる。

飼い殺し、という言葉はわが身にしみる。まさにあの会社で、僕は飼い殺されていた。銀行というビジネスを、ただの勝ち負けのゲームに貶めてしまう経営陣。まさにつまらないプライドやジェラシーのみに動かされている組織だった。

権藤氏のような熱い思い、高い志を持った上司に出会えることは稀だろう。沖縄ではなおさらだ。

私が言いたいのは一度しかない現役生活こそ、大事にしなくてはいけないということだ。人生は短い。野球人生はもっと短い。周囲の思惑だけで囲い込んでいたら、あっという間に終わってしまうのだ。

僕は沖縄の銀行で、飼い殺しされるために生まれてきたのではない。このまま死ぬわけにはいかないと思って、あの組織を自ら見切ったのだ。権藤氏のコラムを読んで、その思いを改めて確認できた。