首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

留学/公用旅券

北九州沖合でゴムボートが転覆し、海底から内閣府職員の遺体が発見された。

経済社会総合研究所に所属し、ミネソタ大学大学院に派遣留学中の若き官庁エコノミスト。何とも痛ましい帰国になった。
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事件性はないと思った。このニュースを聞いたとき、「ああ、留学がしんどかったんだな。何もかも捨てて、逃げて帰りたかったんだな。」と感じた。

このエコノミストは国からの派遣留学。もちろん公用旅券(official passport)を所持しての出国だ。公務で外国へ渡航する場合に交付される緑色の表紙のパスポート。

公用旅券を初めて支給された時のドキドキはよく覚えている。赤い表紙の一般旅券を事務方に預け、緑の表紙の公用旅券を受け取る。日の丸を背負って、国のために仕事をすることの重さを実感した。

使ってみると、何ということはない。外交旅券と異なり、特権的な扱いをされるものではない。出入国審査も特別なレーンはなく、一般の旅行者と同じ行列の最後尾につく。帰国時も税関のカウンターに並ぶ。さすがに一度もスーツケースを開けられたことはなかったけれども。

それでもその重みは感じたものだ。会議を終えて現地の空港に着いた時、JALのチェックインカウンターで「公務、お疲れさまでした。」と声を掛けられたことが何度かある。成田の税関で「お疲れさまですっ!」と若い係官に敬礼されたことも多かった。まあその程度のことなのだが。

でも、それは決して軽いことではない。自分一人の責任で活動できる一般旅券とは違い、多かれ少なかれ国を背負わされてしまう公用旅券。どんな小さな会議だったとしても、日本の代表として紹介され、そのようなものとして扱われる。日本のために、日本の国益のために働いているのだと否が応でも実感する。

公用旅券には官職名が記載される頁がある。金融庁内閣府の外局なので、僕は内閣府の事務官。Cabinet OfficeのOfficialと記された。このエコノミストも、おそらくこれと同じ記載の公用旅券を所持していたはずだ。

慣れてくれば、海外出張も国際会議も怖くなくなる。しかし、最初は緊張する。むしろ緊張するほうが普通だと思う。自分一人での出張の場合はなおさら。それは留学であっても変わらないだろう。

もしかしたら彼は英語での生活が初めてで、強いストレスを感じていたのではないか。あるいは、学位取得の可能性にほんのわずか不安を持ってしまったのではないか。日本人として、日本を背負って来た者として、ぶざまなことはしてはならないとパニックに陥ったのではないか。

思い返すと、僕の場合は初めて参加した国際会議がいきなり修羅場だった。初日は全く埒があかず、発言すべきところで割って入れなかった。「やばいわ。こりゃ日本に帰れんわ。。。」その夜はアムステルダムの安宿で泣いた。
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だから何となく、わかるような気がするのだ。「逃げたい、帰りたい。」という本能的感情と、公用旅券を所持した派遣留学生という現実とのジレンマ。若きエコノミストは真面目で、思いつめてしまった。

「公用旅券を汚したくない。」という潜在的な意識が、密航による帰国という途方もない行動に彼を駆り立ててしまった。それが真相ではないか。事件性はないような気がする。

同情を禁じ得ない。ご冥福をお祈りする。