首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

『ダイバージェント』

『ダイバージェント』(原題:Divergent)を見る。

ダイバージェントの訳は「異端者」。僕もこの地で“異端者”扱いを受け続けてはや5年。このタイトルに惹かれ、南風原の映画館までクルマを走らせる。

あらすじはこんな感じ。wikipediaより。

  • 近未来のシカゴでは、人々は、無欲を司る「アブネゲーション」、平和を司る「アミティ」、高潔を司る「キャンダー」、博学を司る「エリュアダイト」、勇敢を司る「ドーントレス」の5つの共同体のいずれかに振り分けられていた。
  • 主人公の"トリス"はそのいずれにも属さないダイバージェント「異端者」とみなされてしまう。その判定を受けて間もなく、完璧であるかのように見えていた世界に潜んでいた「邪悪」が姿を現し始める。

主人公はなぜ異端者と判定されたのだろう。ポイントは2つくらいあったかな。うろ覚えだけど。

  • 自らが置かれている状況を客観視することができる能力を持つ。
    • 判定試験では、極度のストレス下での行動や意識を観察・評価される。主人公は、あっさりと難局を潜り抜けた。課題をいなすというか、斜めからとらえるというか。「これは現実ではない。」とつぶやきつつ、何度もピンチを逃れた。
    • 体制側にとって、システム自体を俯瞰し、対象化されるされるのは何とも厄介だ。異端者とはシステムの枠(パラダイム)の外で認知し、行動する人間のこと。「これって、違うんじゃない?」「ちょっとおかしくない?」という視点を持つ人間は抹殺されるべし。
  • いくつもの共同体のミッションを十二分にこなしうる、多角的な能力を持つ。
    • あっちの分野でも、こっちの分野でも。どんな分野の課題にも高い能力で簡単にこなしてしまう。こんな人間は凡人にとっては恐ろしい存在だ。主人公は非常に勇敢であり、かつ真の意味で無欲だった。
    • あらかじめ定められた役割を、歯車の一つとして淡々とこなすことが全て。それ以上のことができてしまう部下は厄介なだけだ。生き残りたければ、余計なことは言うな。

思わず苦笑いだ。「状況を客体視」できる「多角的な能力」こそが最も価値がある、と僕は心の底から思っているから。

この能力を持つ人間が「異端者」とされ、社会から抹殺される世界。僕はまっ先に消されるな。その価値尺度では、京都大学は間違いなくFラン大だろう。異端者を生み出す教育システムだから。

主人公のつぶやいた印象的な言葉があった。「うまくこなし過ぎると潰される。もたもたし過ぎるとふるい落とされる。」

ああ、よくわかるで。