首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

第77回日本オープン選手権

とても後味の悪い大会だった。

参加選手たちはどんな思いを抱きながら那覇空港を発つのだろう。優勝した久保谷、それを逃したパグンサン。誰一人としてハッピーではない、ただ疲労のみが残る、そんな消耗戦だった。

「どうしても欲しいタイトル。この試合にかける。」と公言していた藤田寛之を僕は応援していた。「自分のベストを尽くして結果がこれなので、これ以上どうしたらいいか分からないです。」とコメントした初日のラウンドの後、誰もいないアプローチエリアで黙々と打ち込み続ける彼の姿を見た。そんな彼も最終日ついに緊張の糸が切れてしまった。

約70億円もかけて日本オープン対応の改修をしたという那覇ゴルフクラブ、その資金がどこから出たのか知らないが、ちょっと度が過ぎたんじゃないか?1カ月以上クローズして伸ばしたというラフ(ティフトン芝)も、結局ゴルフの持つ面白さをそぐ方向にしか働かなかった。このような会場にしてしまった関係者の罪は重い。

会場にわざわざ足を運んだギャラリーも、テレビの生放送を楽しみにしていたゴルファーも、記憶に残ったのは苦痛にゆがむ選手の表情と自分の胸の痛みだけ。

すべてのゴルファーの心には「沖縄でのゴルフはきつい、つらい」という印象が刻まれてしまった。

おそらくもう二度と沖縄で日本オープンが開催されることはないだろう。