首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

リレバン

本日、日経の経済教室は名大の家森先生。テーマはリレバン。

「新規先開拓重視は限界」「取引先地元企業の再生支援が重要」というご主張に新味はなく、地方銀行の関係者からすれば、「まあ、そりゃそうなんですけどね。」という内容だった。

「経営支援を重視する職員評価へ転換が必要だ」ともおっしゃっている。正論だが、「じゃあ、具体的にどうすんのよ。」という話だ。行員に対するいまどきの業績考課、実力を「正確に」見極めるためには「平等」に行なわなければならない。支店に配属された行員にしても、それを評価する支店長にしても、2年単位でクルクルと回転していく。個々の行員が取引先の「経営支援」に向ける努力、短期的には成果が見えにくい。努力が実を結ぶまでには、時間のほか運にも左右される側面もある。個人の業績レベルで「平等」に評価するのは極めて難しい。だから、「新規先の獲得件数」「貸出額の純増分」といった客観的に評価しやすい項目が、消去法的に選択されることになってしまうのだ。簡単にできるなら、とっくにやってますよ。

リレバンの定義は容易ではないが、あるサーベイ論文*1では比較的分かりやすく4つに整理されている。

  • 銀行にとって独占的である借手の内部情報の利用
  • 同一借手との時間にわたる複数回の金融取引
  • 時間にわたる貸手・借手間のリスク・シェアリング
  • 契約内容の弾力的見直し(再交渉の容易性)

日本にはリレバンの良き伝統が確かにあった。取引先との間で、長期的な(時間をまたいだ)ギブ・アンド・テイクの取引きが存在し、お互いにハッピーだった。しかしいまは短期的な視点でしか行員を評価できない現実がある。短期的なインセンティブしか行員に与えられないという現状がある。これが今、リレバンの理想的な姿を実現するのが難しくなっている一つの要因なのではないか。長期的な視点でしかリレバンの効果は測れないのだ。理論的にはごく基本的であるのに、この点をを理解していない銀行経営者は多い。

ある銀行では「×××××・リレーション活動」と銘打ち、地域密着型金融推進計画を打ち出している。強い信頼関係を構築し、強いきずなを構築し、たくましい営業活動を展開するのだと。ずいぶんとマッチョな方針ではあるが、で、具体的に何をするかというと、「反復継続訪問の実施により訪問頻度を高め、個社別のリレーション強化を図ります」ということらしい。おそらく、反復継続訪問した回数・件数によって業績を評価しているのだろう。確かに目標としては平等だし、分かりやすい。支店長は行員を評価しやすいし、本部も支店長を叱りやすい。

分かりやすいが、そこには落とし穴がある。はたして反復継続訪問の回数が多ければ、リレーションシップは強化できるのだろうか。毎週最低x回、その会社を訪問して顔を見せつづけたら、関係はどんどん堅固になっていくのだろうか。

行員は支店長から「暇があったら、担当先まわってこい。回数かせいでこい。」と外に出される。残業や持ち帰りが制限される中、取引先を分析する時間も余裕もない。取引先に話すネタがない。取引先からすると、ネタを持ってくるわけでもない「お願い営業」型の銀行員ほどメンドクサイ存在はない。頻繁に顔を見せられても対応するだけ時間が無駄である。それならば、この前やってきた非メインバンクさんの方が、低い金利での借り換えを提案してくれるだけずっと有用だ。かくして、泥沼の金利引き下げ競争に突入、リレバンによって取れていたはずのメインバンクの超過利得は雲散霧消する。

取引先に対するメインバンクの交渉力はかつてないほど弱くなっている。銀行側は、長期的なリレーションを維持していくための人材も能力も欠いてしまっている。一方、優良な取引先は内部留保もつみあがり、金融機関間の貸出競争も激化するなか、地元銀行との長期的なリレーションにすがる必要性はほとんどなくなっている。

これが地方銀行におけるリレバン運営の実態である。書いていてブルーになる。しかしこれが、この業界が構造不況といわれる所以なのだろう。

*1:滝川好夫「リレーションシップ・バンキングの経済理論:1つのサーベイ」神戸大學經濟學研究年報 53, 41-65, 2006