首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

長谷部、ニュルンベルグへ

長谷部がニュルンベルグへ移籍した。

ファンというのではないのだが、何か彼のことは応援したくなる。ボスに恵まれない、機会を与えてもらえない、便利に使われてばかり。そんなところがサラリーマンをしてた頃の自分に重なったのかもしれない。このブログを始めたころにもそんな文章を書いた。

その後の状況はどんなだったか。昨季2012-13のブンデスリーガヴォルフスブルク長谷部はシーズン開始からずっとベンチ外。8試合、約3か月間もの間、マガト監督から屈辱を強いられた。このマガト、2008年当時無名の長谷部をチームに合流させた恩師でもある。2008-09ブンデスリーガヴォルフスブルクを初のリーグ優勝に導く。ともに優勝の美酒を味わった仲だ。マガトはその後シャルケで指揮を執ったのち、2011年にふたたびヴォルフスブルクに戻ってきた。

長谷部の従順さは日本代表でも知られるところ。ボスの方針・戦術を完全に理解・共有し、ピッチでは献身的にボールを追う。いかなる状況であろうとも、取材・インタビューでは、ボスに対して反抗的な姿勢は全く見せない。マガト、その長谷部を今回は徹底的に冷遇、戦力外としてベンチの外へと追いやった。

マガトはドイツでは「一昔前の指導者」との評価らしい。「スポーツ科学や細かい戦術、選手との対話を重要視せず、数多いドイツ人指導者の中でも際立ってハードなフィジカルトレーニングを課すことで知られている。*1」 練習の厳しいルールに批判の声が上がり、選手からも不満が漏れていた。

シャルケファルファン(ペルー代表)は「(マガトの課す練習は)軍事的でいい気分ではない、人間性が疑わしい」と酷評している。またドイツ人MFシュトライトは、「マガトにキャリアを滅茶苦茶にされる恐れがあった」と話している。取材*2に対し、「あの男とは、二度と会いたくない。あいつは僕のキャリアを終わらせるところだった。僕のことを陰湿に脅していた。ほとんど2年間、僕はアマチュアチームで練習させられた。毎日、退団させられる恐れにさらされていた」と答えている。

 

(非公開)

 

 

そのマガト、2012-13のブンデスリーガヴォルフスブルクでは劣悪なパフォーマンスをしめすことしかできなかった。開幕から1勝2分5敗で最下位と低迷。シーズン途中の10月25日に成績不振を理由に解任された。長谷部は自身のブログでこう語っている。

マガトさんとは約3年間共に戦わせていただき、本当に色々ありましたが彼には感謝しています。良き事もそうでない事も沢山経験させていただき、僕をサッカー選手としてだけでなく1人の人間としても成長させてくれました。一番はやはり忍耐力がついた事ですかね(笑)

 

ただ何を言っても、約五年前に日本代表選手でなかった当時の僕をドイツに連れて来てくれたのはマガトさんですから。感謝ですね。

心を整えることができる人間は一味違うということか。少しは本音も語れよ、長谷部(笑)。

ところがその後も苦難は続く。本来のポジションであるボランチで出場することがかなわず、右サイドバックでの出場を余儀なくされる。迎えた今シーズン、状況は更に厳しくなりベンチスタートが続いていた。マガトの後任監督であるヘキングは、「右サイドバックの重要なバックアップ要員である」と公言し、複数のポジションを器用にこなす長谷部の移籍を認めてこなかった。

そしてようやく今回の移籍実現だ。長谷部は「ヴォルフスブルクでは常に試合に出られるわけではない。ニュルンベルクなら最も好きな守備的MFで出られる」とその理由を明かした。

よかったな、長谷部。ヴォルフスブルクに恩義があっても、給料が大幅に減っても、やっぱり自分のこだわるポジションで出場することが重要だと思う。

今夏のメルカート(移籍解禁期間)も明日まで。出場機会に恵まれない選手の移籍話を聞くに、今年の僕はつい自分と重ねてしまう。カカやカシージャスと重ねるのはおこがましいけれども、プロとして、男として、感じるところに共通の部分は間違いなくある。(写真はウィキメディアコモンズより)

*1:wikipedia-Wolfgang-Felix Magath

*2:Goal.com 2011/03/24