首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

親友Mと糸満屋で

今日は親友Mと那覇は三原にある名店・糸満屋へ。彼は取引先がある関係で時折沖縄に出張でやってくる。お互いに出張が突然決まることが多く、彼の前回来沖時は僕が東京便の機中にいた。今回も前日に突然「明日の夜、18時から22時まで空いてるか?」とメールが入るような状況。もちろん「予定動かしてでも会うで」と返信した。

彼とも河合塾で出会った。当時、河合塾大阪校の京大コースは成績順に後ろから席が並べられていた。彼の席はいつも最後列にあった。全国統一模試では成績優秀者のボールペンを当然のようにゲット。文系なのに数学にめっぽう強く、ある時偏差値が100を超えたのにはめまいがしたものだ。これはリスク管理的にいえば、上位99.99998パーセンタイル。500万人が一列に並んだら、その先頭は彼だ。いやはや、いかにすごかったか改めて思い知る。

当然滑り止めはすべて合格。しかし本命の合格発表板に彼の名前はなかったのだ。周囲の困惑をよそに、彼は潔く当時私学最難関の政経学部へと進んだ。

受験のみならず仕事においても、Mは平坦ではない道を進んでいく。数年前、仙台にある某企業の経営立て直しに参画したが、自身ではどうしようもない外部環境の大波直撃も受け、資金繰りに緊張を強いられる日々を送っていた。仙台や東京で顔を突き合わせ酒を飲んでも、笑顔の向こうに日々もがいている姿を隠すことはできなかったようだ。昨年、この糸満屋で飲んだ時もメインバンクへの対応について秘策を共に考えたことを覚えている。

…外部環境が好転し、ヒット商品も生まれ、彼の会社が当該業界の雄としてさまざまなメディアに取り上げられていることは知っていた。しかし今回久しぶりに会ってみて、彼の表情が明らかに変わっていることに驚いた。話し方も全然変わっていた。いい感じで肩から力が抜けているのだ。体調もぼちぼちだそうだ。安心した。うれしかった。

仕事の話は直接せず、サンパウロにあるブラジル日本移民資料館(Museu Histórico da Imigração Japonesa no Brasil)の話になった。彼は昨年出張した際に、僕は3年前の一人旅の時に、それぞれ訪問した場所だ。お互いそこで感じたことを語り合った。

…ぼんやりと学生時代のことを思い出していた。彼が京都の僕の下宿に来て小さな電気ストーブに向かいながら、僕が中野の彼のアパートに行ってこたつに入りながら、夜が明けるまでこんな感じで話ばかりしていたな。

当時は鳥が鳴き出してから「おー、明るくなってきたで。はよ寝よ。」といって雑魚寝したものだ。しかし、今夜の彼は最終便で沖縄入りする取引先と22時から打ち合わせ。僕の方から「じゃあ今夜はこの辺にしとくか」といってお勘定した。彼が自分の会社の領収書を切ってくれた。ごちそうさま。

安里駅までタクシーで向かい、別々の方向の列車に乗った。がっちりと握手をして別れた。

(写真:糸満屋で泡盛久米島」)