首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

僕の内なる社会性

今日は会社の顧問弁護士さんと飲み会。ずっと前から「出身大学が同じ」と聞いていて、そのうち飲みたいな、と思っていた。今回、東京からお越しになられた年二回の定例ミーティングのあと、近くの飲み屋で部のメンバーとともに食事をした。

先生とは今回初めてお会いしたのだが、お若くてびっくり。伺うにまだ34歳とのこと。ご出身は兵庫県の西宮で、中学から灘に通われていたとのこと。僕の知り合いでも灘から京大(除く医学部)というのは何かこだわりをもっている変わった人間が多く、興味津々でお話を始めた。

やはりとても面白い方だった。学生時代に司法試験合格。東京のトップ法律事務所からスカウトされてデビューされた。とにかく凄腕で、担当した案件は連戦連勝。どうやって勝てるか、ということを突き詰めることが性にあっているとおっしゃる。

話は僕の質問から一気に深くなっていった。「先生、連勝している中では、“これはさすがに相手方の方が正しいな”という案件もあったでしょ?そんなとき、良心って痛まないものなんですか?」

「鋭い質問ですね。今、ちょうどその点でいろいろ考えているところなんです。」とおっしゃった。弁護士は依頼者のためにベストを尽くすのが仕事だ。だから、相手の弱点や不備をついて何としても勝たなければならない。しかし、考えさせられる出来事があったという。ある中小企業に対する裁判。勝訴したあと、その企業が倒産。ふと見た新聞に、路頭に迷う従業員の記事が掲載されていた。実はその案件、その中小企業の些細なミスを執拗に突くものだったそうだ。

それ以降、なぜかその中小企業のことが気にかかるようになった。「心のバランスが微妙に狂ってきた」先生はそうおっしゃった。そして、先生は微妙に狂った心のバランスを取り戻すために、社会貢献活動に積極的に取り組むようになられたそうだ。ボランティア、社会的に有用な発明、里親活動などなど。今は仕事は仕事と割り切る一方、余暇の多くの部分とお給料の一部を社会貢献に回すことで一種の社会性を回復されているそうだ。

とても共感できた。僕も今は自分の仕事に集中している。成果も十分に上げているつもりだ。しかし、今この会社の進んでいる道は正しい道ではない。僕が頑張ることがこの島のためにつながっていかない、それが僕のフラストレーションのかなりの部分を占めている。

この島に来て残念ながら失われてしまった僕の内なる“社会性”を解放してやる方法をそろそろ真剣に考えなければならない。