首里に住まう男

沖縄の古都、首里に移り住んだ関西人の表の顔

プロジェクトの進捗

リスク管理部時代に取り組んでいた2つのプロジェクト。
腰を据えて、●●ローンと●●●●●について取り組んでいた。

4月に僕が部署を離れてから、数々の納得いかない出来事が頻発している。
先週もまた不思議な出来事があった。

2つのプロジェクトの一つが、僕に開催通知を送らないまま、また内緒で開催されていたのだ。「また」というのは、今回で2回目だから。僕が人間ドックを入れていたのを良いことに、21日に設定したのだろう。まさか午前半休でお昼から出てくるとは予測できなかったのだと思われる。午後、廊下で会った時の事務局員の驚いた顔ったら。

こんなこと、内緒にしても、それがバレないとでも思っているのかな?
僕のことを毛嫌いしている上司がこれを指示したとしても、あなたがたにはこのプロジェクトに対する思いというものがあるだろう?
元部下には何も伝えること、残すことができなかったのだな、という無力感で、自分と組織に対して情けなさがこみ上げてきた。

ふと、九州電力の「やらせメール」の事件が頭をよぎった。有能なはずの社員が、上司のとんでもない指示に従う。上司の気持ちを酌んで非倫理的な行動に走ってしまう。しかも、その行為が明らかにバレてしまう、ということに心およばす余裕がない。

うちの会社も、似たような部分があったのかもしれないな。少なくとも、僕が3月までいた組織は、通常の判断能力を失ってしまっているのかもしれないな。
血圧が上がってもつまらないので、そのように自分に言い聞かせた。

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今回のプロジェクト、かなり先進的な取り組みなのだ。理論的には理想的とされているモデルだが、データの制約でほとんどの銀行が実際は構築できない。ただ、うちの銀行はその制約が乗り越えられそうだとわかった。そこで、●●●に相談し、二人三脚で日本初のモデルに向けて走りだすことにした。

とにかくうちの●●はカネの面では厳しい。●●●さんの「研究開発。投資のつもりでやりますよ。」という男気に頼らざるを得なかった。加えて、「このモデルが素晴らしいものになったら、この取り組みを全国の銀行に自慢しましょうよ。」とのお申し出があった。望むところだ。「もし成功したら、講演もやりますし、共同論文も書きますよ。」過去、●●ローンのプロジェクトでも、わが行の取り組みは全国で紹介したし、紹介したことは行内(役員)にも報告し、評価していただいている。今回も何の問題もあるまい。そう考えていた。

4月は定例ミーティングに欠席した。僕には開催案内が届かなかった。開催についての事前の相談も一切なかった。●●●さんも不安だったらしい。僕がもうこれから出席しないと思われたようだ。実際、僕も今後のことは分からなかった。自分が新しい部で背負った課題だけでも途方もないものだったから。

「できれば、出席してもらえませんか。これまでの経緯もあるし。営業統括部として関われる課題でもあるでしょ?」そのように●●●さんに投げかけられたのがGW前。僕は角が立たないように、「5月以降も出席させてください。オブザーバーでも構わないので。」と事務局に申し出た。それ以後は開催案内のメールも届き、5月と6月は会議に参加することができた。

しかし、7月は内緒で開催された。元部下は「開催メールを送らなかったのは、僕のミスです。」という。おい、そんな言い訳が通用するか?百歩譲って、もしミスだったら「すみませんでした。会議は14時から○○会議室です。お越しください。」という言葉を添えるべきだろう。

結局その日、席で待てども僕は会議には呼ばれなかった。会議の中で●●●さんが「あれ?首里に住む男さんは今日は参加されないんですか?」といって下さったにもかかわらず。事務局は「いいんです。会議を始めましょう。」と答えたとか。

なかなか胸に受け止めるのが難しい出来事だ。このプロジェクトの真髄を理解できていないリスク管理部長や僕の後任者が僕を排除しようとするのは、まぁ理解できないもない。しかし、2年近く一緒に頑張ってきた元部下、そしてプロジェクトメンバーはそれについていったいどんな気持ちなのか。

上司に評価されるためならば、現在の上司の側につくという社員の行動はある意味で合理的だ。上司に嫌われたらその瞬間に会社員人生は終わると考えている社員は多いと聞く。

何としてものし上がり、自分が偉くなってから変えるか。
それとも、もう諦観してアルバイト気分で働くか。

もう少し若ければ、しばらく雌伏の時間を過ごすという道を選んだのだけどな。